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淡雪を撫でる

 車窓が切り取る斜陽に瞼を照らされて、ふわりと意識が覚醒した。微睡みを誘う揺らぎが景色とともに私の背を通り過ぎて、俯きに耐えきれなかったらしいリュックの肩紐がずり落ちる。時計を覗けば目的の場所には未だ遠いことを知り、再度荷物を抱え込んで座り直した。右隣のトレンチコートが立ち上がり、荷物棚からボストンバッグを降ろす。停車駅は満員──所狭しと肩を寄せ合う乗客は一様に手を擦り、ドアが開くのを待ちかねている。出来るだけ小さく体を丸めて、リュックの前で指を組んだ。

年を跨いでも記憶と変わらない顔ぶれに安堵したのは、何も過去に固執しているからではない。確信的な思い出を連れて新たな日に挑戦出来るという安心感──それこそが私の最大の動力でもある。鼻頭を赤くして初雪の中を駆ける彼の人は、相も変わらず無邪気だ。新雪に革靴の跡を残してこちらを振り返るその姿にどうにも惹かれてしまって、気づけば私も傘から飛び出していた。ぐっしょりと水分を含んだ革靴はとても冷たくて、未だに足先が凍えている。

綿毛のような雪が北風に舞って、ひらりと車窓に当たっては溶ける。車内の賑わいにすっかり目が冴え、彼方此方あちらこちらに咲いては溢れる談笑のフレーズを拾うまでに思考力の曇りが晴れてきた。どうやら緩やかながらも止む様子の無い粉雪にたくさんの列車が足止めされているらしい。この様子では到着までもうしばらく時間がかかりそうだと小さく息をつく。予期せず訪れた手持ち無沙汰な時間をどのように興じるか思案するも、これという考えが浮かばない。こういう時に限って思考は霧散し、知らずのうちに取り留めのないことばかりが泡のようにぷかりと浮かんでは消えてゆくのだ。

人生、という言葉を使うにはまだはばかられる年頃である。
子どもながらに大変なことを経験し、それなりに四苦八苦したことすら、いつか誰かに笑い飛ばされてしまう時が来るのだろうか。今こうして手記を書き綴っている瞬間にも未来は現在になり、瞬く間に過去へと立ち替わるのだから、きっとそれを知る日もそう遠くないのだろうが。

例えば、今はどうにも煩わしい親指の擦り傷をその痛みごと慈しむことが出来る日が来るとするなら──その日が「私が大人になった日」になるのかもしれない。
顧みずに駆け出すことが出来なくなる日が訪れるとするなら──その日が「私が子どもではなくなった日」になるのかもしれない。

不確定な未来のことを考えるのは私らしくないとは気づきながらも、無為な瞑想に目を閉じて浸るのもまた私らしいと思い直すのだ。あらゆる余暇を手放しで歓迎するのは生活を満喫するテクニックでもある。「世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにもなるのだ」とはよく言ったものだが、私はとりわけその哲学が備わっているように感じる。楽観的でもあり悲観的でもある私のスタンスにはとても相性の良い言葉だ。

水のように生きていたいと思う。
環境や時代に翻弄されることを厭わず、変化を享受し、変幻自在であり続ける。時には雨として、またある時は霧として日常を余すことなく静かに染めていたいのだ。そこに自分の意思を介在させることには幾許か躊躇ためらいがあるけれど、千々な日々を編んでゆけばそれすらも自然な状態になる。

かたりことりと車輪の音が私を追い越してはまた生まれる。平時よりゆったりと進む列車は心音に寄り添いながら心地良いリズムを刻み、真っ白な空気に飲み込まれてゆく。ぼんやりと窓から覗く落陽は少しずつ薄まり、車内は均一な照明によってくっきりと浮かび上がった。吊り革に掴まるダウンジャケットの影が私に落ちて、視界は再びフィルターがかかったように暗くなる。次第に瞼が重くなり、耳は瞬きの音を拾うだけになった。

息を吹き掛ければ溶けてしまうような淡雪を撫でたら、春景を透かす雫になって静かに指を伝うだろうか──と考えたところで、ふつりと意識がかすむ。
積もることなく地を濡らす雪は、やがて芽生える今年の春に席を譲るようにそっと姿を消すだろう。


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