有名人より専門家。そして、消えないリスペクト。
実は、今日、取り上げようと思っていた記事は↓でした。
香川選手のドルトムント時代の監督でもあり、リバプールに所属する南野選手の現在の上司でもるユルゲン・クロップ監督。
ヘビーメタルフットボールの愛称通り、彼のチームはハードワークが基本で極限までのタフネスが求められる決して楽ではないスタイルであるものの、いつも選手の笑顔が多いように思えます。プレーする喜びがいつでも表情に滲み出ているような、そんな印象があります。その背景を考えたいな、と思っていた時に目にしたのが↓。結果、今日はそちらを取り上げることしました。そして、面白いことに、結局同じところにたどり着いたような気もします。
記事の内容は、タイトルの通りです。記者会見で、新型コロナウイルスについて尋ねられた時に「有名人が何を言っているかは重要じゃない。専門家の意見を聞くべきだ」という回答をした、という記事です。
2020年3月13日付でのチームからの公式声明でも同じことを改めて言っています。きっと彼の信念の一つなのではないかと思います。
しかし、現在の状況では、この街、この地域、この国、そして世界中で不安や不透明な状況に直面している多くの方々に対して伝えられるのは、専門家のアドバイスに従い、互いの健康管理に気をつけることだ。それ以上のことを私が話すのは、完全に間違っている。
ここからわかるのは、専門家や専門性への分け隔てのないリスペクト。そして、それはきっとプレーの専門家でもある選手へのリスペクトにもつながっていると思います。
が、そうか、と思ったのは実はここの部分ではありません。記事中のこちらの部分です。
政治やコロナウイルス。なぜ私に聞く?私は野球帽をかぶって、ヒゲもきちんと剃っていない。
なんで、急に野球帽?ヒゲもきちんと剃っていない?なんて口にしてるんだろう、と最初は疑問に思ったのですが、よくよく考えてみると、ちょっと別のものが見えてきました。
大勢の前で質問を切り捨てられ、きっとばつの悪い思いをすることになるであろう記者に対して、ジョークを交えた回答にすることで、多少なりとも記者の体裁が保てるようにしてあげた、ということではないかと思います。
「それを俺に聞いてなんの意味があるんだ?」で回答を終わって記者の面目を潰し、うっすらとした対立構造を作ってしまうより(記者の自業自得だと言えば、それまでなんですが)、「こんな野球帽をかぶって、ヒゲもちゃんと剃ってないようなおじさんにほんとに聞くぅ?」的なジョークに切り替えてしまうことで、ふっと場の位置づけ事態を緩和してしまう。結果、記者との間にも不要な対立構造が生まれることも避けられる(重ねて言いますが、それって単に記者の自業自得ではないかと言う気もしますが)
そして、そこには記者に対する気遣いもあれば、記事を書くという専門性へのリスペクトがあるように思います。
クロップ監督のチームマネジメント(ここで言うチームは監督や選手だけではなくリバプールと言うフットボールクラブに関わる全ての人を含みます)の根本には、他者に対する揺るぎないリスペクトがある。そして、それを日々感じられる選手は、その安心感のなかで、喜びに溢れたプレーができる。だから、ヘビーでメタルな90分を決して諦めることなく走り続けることができる。そんなことではないかな、と思っています。
この記事のタイトル写真はTifofootballの記事より引用しております。
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