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欲張りな自分への自責

私は欲張りだ。
八方美人になりたい。
NOと言えない。
手放せない。

これは人間関係でも、ものでも。思い出さえも。
ひとつづつ整理しようと思う。
このnoteは自分のためだけの文章。


1番欲張りになってる人間関係を書こう。
前提として、
私は喜怒哀楽が激しい。長所でもあり短所だ。
中学生からこの喜怒哀楽の起伏が激しい性格に悩んで、高校では躁鬱気質にまでなった。
時より授業を抜けて保健室に走って落ち着いたら戻る。
いつも迎えに来てくれた友人は私が言わなくても休み時間になれば保健室に来て
''戻れるなら一緒に''
と声をかけてくれる。
この友人のおかげで高校生活を楽しく終えることができた。今でも大体月1で会う1番の友達だ。

前提が長くなった。
喜怒哀楽の起伏が激しい分、私は刺激が大好きだ。
大学が大阪に近い事や進学してから芸術という同じ分野を学びたいと思う同士に出会ってから遊びに大阪へ出ることが多くなった。
音楽を聴きにいったりB級映画をみたり。
読書やカフェに行くことを趣味としてたのが、
DJで音楽を繋いだり喫茶店で珈琲と煙草を楽しむようになった。もちろん、読書は変わらず楽しいと思えるが頻度が格段に落ちた。

ここで自分の喜怒哀楽の哀に当たる部分が出てくる問題が発生するようになった。

中・高の友人と話が合わなくなってる。

先程述べたお迎えに来てくれる友人はノーカンとして、
久しぶりに会う友人と近況を話す上で話が弾まない。
もちろん交友関係に恵まれてきたおかげで
すごい、おもしろそう、とは言ってくれるが自分に当てはまらない話は誰だって想像がつかないからそそられないだろう。だから、自分の話をしなくなる。
映画のフライヤーの魅せ方の話やシーンの切り替え、サントラで気付けばラストオーダーの時間になることや、
最近イチオシ音楽をみんなで回して日が昇るまで聴き合うこと。刺激を受け合うこの楽しさから抜け出せない。
映画や音楽を通じて、友人の輪が広がった。
イベント繋がりで紹介してもらったり話しかけたりかけられたり。
こっちといる方が楽しい、こう思ってしまう。
切ってしまえばいいじゃないか、そう言われればそこで終わりなのだが欲張りな私にはできない。
気付けば疎遠になる友人もいたが、誘われれば、''行くよ〜''とその場でYESと言ってしまうことが殆ど。
おかげでキャパオーバーが目の前まで迫ってきている。
お金も気持ちも。
ここへ行く資金であの行ってみたいイベントに行けるんじゃないか、こんな複雑な気持ちのまま行って楽しみにしている友人に申し訳ない、そう考えてしまう。
気持ちが鬱気味の時、もういっそのこと全部切ろうかと考えた。その時見た切り抜きに心臓を突かれた。

価値観が違うのは当たり前、
同じ価値観だと思い込むからしんどくなる。
とりあえず行ってみる。

私が書くとあまり心臓を突かれるような表現にはならないが、この言葉にさらに追い打ちかけられて苦しくなった。と同時に行くべきだとも思った。
この方のように、ずっと''とりあえず行く''はできないので、これで最後だと思って行こうと思う。


これは、欲張りな自分への自責の文章。
他が見れば自分勝手な奴の言い訳に聞こえるだろうが
こんな私を友人として仲良くしてくれてありがとう。

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