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3000万の借金。5枚のポストカードしか売れない…から《株式会社を作る》までの話。

21〜27歳・飲食時代

21歳の時、3000万円の借金をして創作料理の居酒屋を開店させた。フレンチやイタリアンで修行を積み料理には自信があった。顧客は徐々について順調な滑り出し!地域のサラリーマン達もランチから握り、毎日お店は満員御礼だった。

25歳で憧れていたコルベットを買い、大好きな音楽活動をしたり、最高な20代を謳歌していた。

しかし開店から6年後、名古屋は駐車禁止の取締り・飲酒運転の取締りが厳しくなり、飲食店不景気がやってきた。名古屋中のお店がバッタバッタ潰れていった。

「こんな日は長くは続かない。凌ごう!耐えよう!きっとまた盛り返してくる!」そう信じて銀行にまた融資を募り、借金しながらも1年間を耐えたが…景気回復の見通しが立たないと、2008年に閉店を決意した。

もう一回人生挽回してやりたい!!!
そう決意した私はやりたいが多過ぎた為、本当にやりたい事を明確にしようと思った。
「飲食」か「音楽」か「書」か「絵」か?
「どれが一番やりたいんだ俺は?」

そこで選んだのが描く・書くという「絵」と「書」の道だった。27歳からの再スタートだ。

流浪をしながらアートする!

お店の屋号やメニューを書く事で我流の「書」を身につけた私は、アメリカ・カナダを旅行する際に、筆ペンと色紙だけは必ず持ち歩いていた。行った先で出会った外国人の方々に感謝の意を込めて漢字を書いてプレゼントして回ったのだ。

皆すごく喜んでくれた。
「Wow!Cool!!」「Great!HASHIRU!!」言われる度に笑みが溢れていた(笑)

★ アートで喜んで貰えるってステキ! ★
そう思った瞬間だった。

あるハリウッドのお店では、有名ハリウッドスターのサインが沢山飾ってあって、一緒に飾ってくれる所もあった。なんか自信がついた。「俺でも人を喜ばせることが出来るんだ」と。

ハリウッドのあるお店に書をプレゼント

流浪しながらアートする俺は『流浪アート(RULOW ART)』だ!
その頃から自分の事をそう名乗り始めた。

個人事業主/クリエーター活動

29歳。帰国して2009年頃から作品制作をし始めた。ロックとかサムライが好きだからスカルとか和っぽい、主に男ウケを狙った絵を描いていた。

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2009年頃の絵のタッチ

当時派遣社員として家電量販店スタッフになったり、リサイクルショップでフィギュアや古着や楽器を売っていた時代、とりあえずお金が本当になかった(笑)生活するのもやっとだったし、飲食時代の最後の融資の返済もまだ残っていたし…

画材なんて買えなかったから、筆ペンとかマジックでA4の紙に描いてスキャンしてデータ化していた。(それは未だに変わらぬスタイルとなっているw)

「よし、個人事業主として登録して、クリエーター活動を本格的に始めよう!今だからこそ珍しくないがパラレルワークってヤツだ。
近所の税務署に行き色々相談をした。

「屋号はどうしますか?」
「屋号?」
「個人名でも屋号掲げても良いですし」

「屋号は?そうだなぁ〜【RULOW ART】だ!


先ずはポストカードを200円ぐらいで売っていこうと思った。「一日100枚売れたら?20,000円じゃないか!マーケットやWebで売ったら月に15万ぐらいになるかな〜!夢がある!」そんな期待を膨らませながらクリエーター活動は始まった。

5枚しか売れない…マーケット時代


クリエーターが出店するマーケットに毎月応募して出まくる計画を立てた。出店料は5000円、7000円、12000円と規模に応じて価格は上がる。
「100枚売って8000円〜15000円の利益かぁ〜まぁ売れるっしょ!」根拠のない自信だけが昔から私の強みであり、弱みだった。。。

紙の質にこだわり、全て世界堂で買った良い紙にインクジェット印刷を〈きれい〉モードで印刷し裁断をした。しっかりOPP袋にいれて手作りでも妥協しないクオリティに拘った。

最初に用意したポストカード達

「さぁ〜初イベント!売るぜぇ〜!!!」と鼻息荒く販売するも…

5枚しか売れなかった。

「5枚?1000円?マジか。。。4000円の赤、いや在庫・材料費を考えたらもっとか…」金がない当時の自分には答えた。

【自分らしさ】と【オリジナル】の確立

それでも諦めず、何度かクリエーターズのマーケットに出る事で、やっと自分の絵とお客様のニーズに差がある事に気付いてきた。
「そうか。お客さん達はこういう絵を飾りたいのか?」
それが

・絵本の様なテイストの絵
・ネコの絵
・ワクワクして観れる細かい絵
・行ってみたい架空の街の絵

そのニーズに応えたのが
『ネコの観る風景シリーズ』だった。

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ネコの観る風景シリーズはポストカードやA4サイズの小ポスターで売り始めた

ロッキン・サムライ・シティー

私の街にはコンセプトがあった。

自分の人生として芯を通すカッコいい生き様
『ロック魂』
日本人として大事にしたい精神的な生き方
『サムライ魂』

それをもった住人達が住む《あさいはしる》が想像する世界!それが

「Rockin' Samurai City(ロッキンサムライシティー)」だった。

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一番最初に想像したロッキンサムライシティー

「街の風景」「絵本の世界感」「キャラクター達」は全てこのロッキンサムライシティーの中に存在する。
「いつかはこの街をリアルで創りたい!!ディズニーランドの様に!」
それが、そう私の夢となった。

2015年34歳
爆発的に売れる事はないが、ネットサイトやマーケットに出店したり、アメブロやインスタなどに発信するなど、継続的に作品作りを諦めず続けた。

『映画:20世紀少年』堤監督との出会い

2016年35歳。私にラッキーが訪れた。

いつも行く丸の内のセブンイレブンのオーナーと話していて
「あさいさん!さっきウチに堤監督が来たんですよ!」
「堤監督?」
「20世紀少年の!真田十勇士の!堤幸彦監督!」
「マジすか?!」

オフィスに帰り調べたら近くの料亭でディナーショーの歌舞伎イベントに携わっている事を知る。
堤監督のブログを拝見し、私は居ても立っても居られない状況でメッセージを打った。

「オフィスの近くで堤監督のイベントが催されており、リハの音から興奮している状況です。私は名古屋で(カクカクシカジガ)で、是非堤監督さえよろしければ、名刺交換だけさせて頂きご挨拶をさせて頂けたら幸いです。明日料亭に赴きさせて頂きますが、ご迷惑なら料亭側にその旨お伝え下さい。」

そんな一方的なメッセージを送り、自分の勝負を賭けに行った。

料亭にドキドキしなが着くと気落ちしていた。
「いやぁ〜俺めちゃくちゃ迷惑だろうな…でも堤監督から色々アドバイス貰いたい」
そして料亭のスタッフさんに話しかけた。

「すみません。私堤監督にメッセージを送らせて頂きましたアサイと申しまして…」
「あ〜お待ちしてました!監督から伺ってます。どうぞこちらへ!」
「え?監督から?」

そのまま奥へと案内され、広い宴会場のテーブルに案内された。心臓が爆発しそうだった。
そこへ奥の扉から

「お〜!アサイさん!メッセージありがとうございます!!お待ちしてました!」
と堤監督が歩み寄って来て下さり、名刺交換をさせて頂いた。私はこう感じていた。
なんて神対応な…なんて凄い監督なんだ…こんな訳も分からん地方の素性も知れぬアーティストに。

それから私の作品を見せて、どの様にしたら良いかのアドバイスを頂きたいと話した。

「面白い絵を描くね。良いね〜!名古屋を是非アサイ君から盛り上げて欲しいな。」
そう言って一人のプロデューサーを紹介頂いた。

「私は全国をバタバタしてるから、この方がアサイ君の力になってくれるよ!またいつかアサイ君が活躍して来たらお会いしましょう!」と握手を交わし、元気と良き御縁を頂いた。ちゃっかり
サインとw

20世紀少年3部作のパンフレットに

正のスパイラル

そして堤監督からの御縁がキッカケで、針の穴程の所から少しずつ穴は広がり始めた。

先ずはトヨタ自動車のディーラーさんのパンフレット案件を頂いた。その後子供向けの交通安全用の絵本や、Gazoo RacingのYouTubeタイトルなど、少しずつ私の絵や書が露出し始めたのだ。

そんなインスタやHPを見て、映画配給会社から連絡が入り、韓国映画の題字をやってくれないか?と問い合わせがあった。流石に驚いた。
何名かの書道家に頼んだらしいがイメージと違い、《絵の感覚で「書」をしている人間は?》と検索した際に私を見つけたという。

確かに一発書きの書道家には出来ない、私は細部のイメージを実現させる為に修正も出来る!書であり絵なのだ。それが映画関係の仕事にはハマった。

韓国映画アシュラの前売りチケット

それから
・店舗のキャラクターデザインだったり。
・パンフレットの挿絵だったり。
・ノベルティデザインだったり。
まだまだご飯が食べていける程の広がりでは無かったが、堤監督から私にラッキーな案件はどんどん訪れ始めたのだ。

13年間描き続けた結果

食う為にはサラリーマンが安心だった。でも好きな事は諦めきれなかった。描き続けた。
ただひたすら好きな絵を描き続けた。

「ハシルさんの絵好きです。」
「この色使い大好きです。絵買いたいです!」
「個展やってください!もっと絵を見たいです!」
そんな言葉を沢山頂く様になり、支えられた。

堤監督の言葉を思い出した。
「またいつかアサイ君が活躍して来たらお会いしましょう!」

俺のやりたいことは「絵を描くこと」それだけだ。そうして

そうだ、起業しよう?!

40歳
アートの会社を「起業しよう」と思った。

様々な事をこの13年間学んできた。
・お客様が満足して頂けるクオリティ
・課題に対しての解決策、そのご提案
・絵でワクワクさせる企画の立て方、マネタイズするキャッシュポイント
・自分がワクワクし続ける働き方、そして生き方

今こそ学んだ全てのスキルを人の為に役立てて、私の心の中の世界観でワクワクする気持ちにさせたい!笑顔にさせたい!老若男女問わず、全ての人達を。

そうして株式会社VOTHTORY(ヴォストリー)は、2021年4月に設立された。象の日にw
(なぜ象の日か?はまた話します。)

『人をワクワクさせる』が【私の仕事】

私の仕事は絵を描いたり、企画をしたり、絵を教えたり、研修したりと何でもするが。

本当の仕事は
『人をワクワクさせる』が【私の仕事】だ。

だから
・似顔絵を描く!
・依頼頂いた絵を描く!
・ライブペイントをする!
・ワークショップをする!

企業様に対しては
「人事採用強化」「離職定職対策」
「組織構築」「ブランディング」
「管理職育成」などの為に

・理念浸透の絵本を描く!
・自分探しのマインドマップを描く!
・マインドセット研修をする!
・スタッフ写真をアートチックに撮る!
・様々な企画立案アイディア出しをする!

そう!見えない部分を見える化する!お手伝いをしたいんです。アートの力で。

チャンスの掴み方

諦めなければ必ずチャンスは来ます!
一つの行動からふと好転し変化します!
続けて続けてやり続けたら必ず伝わります!
腐りそうで死にそうでも心がポジティブなら、自分は必ず裏切らずやり切ってくれます!

それを私はやっただけです。

5枚のポストカードしか売れなかったあの日、あそこで諦めていたら今はなかったでしょう。
堤監督にアクションをしていなかったら、今の仕事もなかったでしょう。

やり続けて最終的に起業までしたから、今の自分があり、未来がある!
必ず笑っている自分がそこにはいる!
そう思っています。

天才の称号

あるワークショップイベントでライブペイントをしている私の所へ、小学生ぐらいの子供が寄って来てこう言いました。

「おじさん。天才だね?!世界で一番天才だわ」

嬉しかった。単純に凄く嬉しかった。
「本当?おじさん天才かな?(笑)」
「いや〜天才だよ。こんな絵普通描けないもん!」
「ありがとう!天才の称号頂きました〜!」

これからの私を是非見ていて下さい。
必ずワクワク皆さんをさせる事をします。
そして奇跡を間近でもっと見てもらいます。
なぜなら

私は奇跡が起きるまで
必ずやり続けるからです!

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