私にとっての、はたらくこと
日々考えていること。
働くとはなんだろう。
働くとは、人生の全てではないけれど
生きていくうえで欠くことのできない営みだと思う。
働くことは社会と接点を持つツールとも言えるかもしれない。
所詮ツールでしかないのかもしれない。
ツールでしかないという考えがあるからなのか、
人生の楽しみは働くこと以外でも存在していると思っているからなのか、
仕事=人生ではないと思う。
こういう考えに至ったのには、
私自身が持病と付き合いながら働いていることが少なからず影響している。
(この持病については今度書いてみたいと思います)
きっと持病と向き合う、ことがなければ
仕事=人生 という思考にとらわれたままだったと思う。
(本音のどこかでは、
仕事=人生と言い切れる人のことが心底羨ましくもあるのは確か)
病気の診断がついたとき私は大学4年生。
まさに就活真っ只中のとき。
働くこと、
どのような働き方がしたいのか、
自分の特性を生かす仕事はなにか、etc.
”はたらく”について日々考え、
職業選択をしようとしていたタイミングで分かった難病。
働くにはそれなりに健康でなくては務まらない。
気力・体力が必要量ちゃんとあって初めて
働く、ためのスタートラインに立てる。
それなのに…
この病を抱えてしまった自分は働いていけるのか?
そもそも持病がある人間を
採用してくれるところなんてあるのだろうか?
どちらを採用しようか悩んだとき、
やはり健康な人が選ばれるのではないか?
健康な人に敵う魅力が自分にはあるのか?そんなものないのではないか?
これからどうしよう?
どうやって生きていけばいいのだろうか?
就活でやられかけているメンタルに追い討ちをかけるように、
これまで以上の不安がのしかかった。
実家で療養生活をしていた1ヶ月強、
とにかく考え続けた。
というか考えずにはいられなかった。
その止まらない思考から一歩這い出せたきっかけは
「コンプレックスも自分の一部」という
表現に触れたことだったように思う。
(だれの言葉だったのかは覚えておらず、きちんとご紹介できず申し訳ない)
病気は自分の一部なのだから、共存して生きていくしかない。
共存した状態で就ける仕事で、
自分の今までを活かせる、自分が貢献していける分野の仕事に就きたい。
今の等身大の自分でやれるだけやってみようと決意を固めた。
その決意の下、職について数年。
持病は相変わらずで、消えてなくなってはくれないけれど
どうにか働くことができている。
はたらくってなんだろう。
まだまだ私には答えが出せない問いである。
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