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『おーい、助け船に気づけよ=素直になれよ』第12言

あれが助け船だと気づければ、あの時、乗れたかもしれない。。

やるから やらされちゃうのよ

もう10年以上も前になる。

向かいに座る定年間近の、お姉さまから言われたお言葉。

お隣の部署でその領域の生き字引的な存在だった御方。

対してわたくし、ザ・現場の部署からいきなりの異動でやってきた若造。

同期の中から一人だけ異動。離れ離れ。不慣れな環境と仕事。同じ業務をやるひとは自部署にはいない。8年選手の前任からの交代。

似たような業務をしている一番身近な人がその、隣部署の重鎮。ちーん。

未読メールがテトリスのように降りてくる。

一番下まで未読がいかないように処理し、やれやれというところで電話。その電話の案件をこなすと、テトリスがゲームオーバー寸前まで。げっそり。

ひーこら言いながらも、必死に食らいついていた毎日。

そんなさなか、おつぼ、、おねえさま から かけられた

やるから やらされちゃうのよ

わたしは、この時たしかにムッとしていた。

そりゃーあなたはいいでしょうよ。誰もあなたに言ってこないでしょう。

そんな ささくれだった気もちと

わたしがやらなかったら じゃあ 誰がやってくれるんですか!

そんな ささささくれだった気もちと

とにもかくにも プンコラした気分だったことは確かなのです。


助け船の到来!?

でも、今思うんです。

あれは助け船 だったのではないか

自分の心を真ん中にもってきて、どっち側にも立たず 見てみる。

やるから やらされる = やらなきゃ やらされない

もっと言えば

=やれないって言えば、やらされないで済むわよ ♪

という風にも とれやしないか、わたし。。


素直になれなかった

当初異例だった現場畑〇〇部からのいきなりの本社異動

(現場しか知らない〇〇部から来たやつ使えないな~と思われたくない、みんなの為にも)

ある日を境に、右も左もわからず、すごそうな部署に飛び込むことになった当時のわたしは妙な気負いをしまくっていた。(誰も思っていなかっただろうに。)

「はい」「はい!」何でもこなさきゃ、これがここの「普通」なんだ、と頑張りまくっていたのです。仕事が出来る女になりたー・・・

それで、あの言葉です。

あれもこれも背負いすぎてる、向いの席の若造のわたしを、見かねて差し伸べてくれた助け船だったのかもしれません。

だけど、その時のわたしは、助け船を 助け船だと気づけなかった

こんなに頑張ってるのに!と、褒めてもらえるどころか、小ばかにされている とプンコラしてたと思います。(ひとりてんてこまい で心に余裕なんて なかったんでしょうね)

だとしたら、大ばかだ。

せっかくスーパーおねえさまが わたしに助け船を出してくれたのに。

「あ、いいです」と乗船拒否してたのかー ばっきゃろー

人生にタラレバはないけれど、あの時、素直に「助けてください」と言えてたら また違う展開があったのかな。

(注)仕事の要領も心身の強さも そこでだーいぶ鍛えられたのですから、それも今となっては糧でしかありません、ありがたし! です。


できません わかりません が大事な時もある

当時 気負いまくりの わたしは

「できません」が「わたしは仕事ができません」に

「わかりません」が「わたしの頭ではわかりません」に

心の中で 変換されていたように思います。

その心のカラクリに気づいてから、今は言えます。

もちろん出来るところまでの最低限の努力はします。

それで わからなかったら

(だって 分かるために 聞いているんだもん)

と堂々と聞けばいいんです。

最初から全部知ってるひとなんて いない。

できないのに、できるって言うほうが みんなも困る。

できなきゃ、他にできるひとがいる。

それは「自分の能力のなさ」じゃなくて、生かしどころやタイミングが違うだけで、なんでもかんでも自分ひとりで出来ないと一人前じゃない、認められない、というのとは、ちがう。

もっとひとを頼っていいんだ。素直に 素直に 素直に

喉から手が出るほど欲しかった『助け船』のお相手に向かって

「乗船拒否!!」

なんて間違っても伝わらないように。


お相手の何かしらが自分の学びポイント

生き字引のような大先輩と、鼻息荒めの若造。

そりゃあ はたから見てたら そう思っただろうな

あの言葉が助け船だったと気づけたの、あれから何年後だっただろう。。

ムッとしようと何しようと、お相手は自分の映し鏡と言います。

気づけない、気づきたくない自分の手痛いところを映し出してくれる、ありがたい存在でもあります。

あの時は思えなかったし、言えなかったけど、放っておけずにお声をかけてくださったこと、ありがとうございます。

自分以外の人がいる というのは、自分を映してくれる貴重な鏡だな。

ひと様なくしては自分の多くは学べない

ひと様のおかげで自分を知り、成長させることができています。感謝。

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