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『感謝の奥行き』第98言

あの日、つくづく「感謝にも奥行きがあるものだ」と思わされた。


玉ねぎ大入り袋 100円

「なんて安い!わたしの家計を助けてくれてありがとう!!」

そう心の中でつぶやく隣のほうで

人生の先輩と思しき女性はこう言った。

「これじゃ農家の方も大変ね」

・・・・・。

【感謝の奥行き】

わたしの感謝は玄関先の、入り口にいる。

彼女の感謝はもっと奥地、客間の上座におられる。


わたしはわたし目線で感謝していた。

彼女は「玉ねぎ」から「農家の方」まで思い描いていた。

たしかに、この玉ねぎ1つ手にするのに、スーパーの人、運搬する人、卸しの人、農家の人、たくさんの人の手(=おかげさま)を介している。

年中、気軽に食べているが、玉ねぎ1個すら、「はい、どうぞ、自分でつくってください」と言われたら、どうだろう。わたしは途方に暮れる。食べれるのは何ヶ月後だろうか。そもそも育てられるのか?

土も必要だし、苗も必要だし、何をどうやればいいのか・・・


そういうことを すぐに忘れてしまう。

さらには、「そもそも、何もかも自然からもたらされたものだ」という当たり前すぎることをびっくりするくらい忘れる。

すでに恵みをもたらされていること

すでに手にいただいていること

そのものすごい ありがたみを

「もう今日から忘れないぞ」と思っても、おそろしく忘れてしまう。。

だけど、

そう気づいているのだから、

いつも入り口でご挨拶している「感謝」様を、ときどきは、客間の上座にお通しして、ねぎらい、おもてなししたいと思った。

ときどき、ちゃんと思い出す

まずは、そこから

感謝に奥行きのある人間でありたい。

ちなみにわたしは

「いただきます。天のめ~ぐみにか~んしゃして~♪」

と歌うように言っていたら、

前よりは思い出せるようになったよ♪

感謝様の前進(●´ϖ`●)

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