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住みたい街一位

1)想像の中の未来の街

こんな未来都市を想像してた。
小さい時に読んだ未来都市も、ここまですごくはなかったけど、大体こんな感じ。
大きなビルが建ってて、光に溢れてて、その下でたくさんの物や人が動き回ってる、24時間休みなく動いてる街。
いまも世界の多くは、こんな未来に向けて一生懸命動いてるように見える。
10年後は無理でも、20年後は、30年後ならって感じ。

すごい進歩だな、未来カッコいい〜って、ぼんやりとは思うんだけど、一方でリアルに10年後の自分を想像した時、この未来都市の中に自分のいたいと思う場所はないんじゃないの、とも思う。

20年後ならもっといたい場所はなさそう。
30年後ならさらに。

確かにすごいし、カッコいいんだけど、実はあんまり、自分とは関係ないのかも。
世界はそんな風に進んでるかも知れないけど、自分にとっては、実はあんまり関係ないのかも知れない。

自分は、山以外の高いところが怖いから、高層ビルは、住めない。
自分は、のんびりした性格やから、忙しなく働くのは、苦手。
自分は、16時間しか稼働出来ないから、24時間稼働している街は、疲れる。

自分は、雨風がしのげて、水が流れて、涼と暖がとれて、少しの明かりがあれば、それでいい。
自分は、感情的にならずに、ゆっくり考えることが出来て、顔が見える誰かのためになってる仕事があれば、それでいい。
自分は、やっと手に入ったモノほど喜ぶから、すぐ手に入らなくても、それでいい。

だから、すごくてカッコいい未来都市は、自分にとっては、あんまり必要ない。
なくても、そんなに困らない。
そんな未来は、自分には必要ない。

ってことで、未来都市に居場所がない自分は、どんな街なら欲しいんだろ?って考えてみた。
どんな街なら、その場所にいたいって思えるのか。
自分の未来住みたい街ランキング1位の街。

[僕の僕による僕のための、住みたい街ランキング]…僕調べ

第一位
「逆らわない街(仮称)」
逆らわない街。逆らわない街。逆らわない街。
上手な言葉が浮かばなかったから、今は仮称。

逆らうのは、とてもしんどいので、逆らわない街があるなら、僕はそこにいたい。

お腹空いたら食べるよ。
眠たいと寝るよ。
寒くなったら着るよ。
くらい逆らわないのが良い。
雨が降ったら濡れるよ。
疲れたら休むよ。
晴れたら遊ぶよ。
くらい逆らわない。
うれしいと笑うよ。
悲しいと泣くよ。
寂しいと会いたくなるよ。
怒ったら、いやだよ。
逆らわないよ。
花は咲くよ。
鳥は飛ぶよ。
風は走るよ。
月は昇るよ。
当たり前にあるものに逆らわない、そんな街。
そんな街なら、自分はずっといたい。
自ずから然るべき形であることが、許される街。

もっともっとって、すごくカッコいい未来都市を目指すのもいいけど、経済が停滞し、人が減って、衰退していく日本を、ポジティブに許容できる、そんな流れに逆らわない街が、僕は欲しい。

2)自然な流れの未来の街

(現在)これはいやだな
(現在)これもちょっといやだ
(現在)これまだ微妙
(20年後)これはなかなか
(30年後)ここまでくればいい感じ
(40年後)こうなればいよいよ
(50年後)よくここまで来たね
(300年後)よく出来ました

日本の全ての街が、こんな風になるとは思っていない。
でも日本の多くの街が、300年も経てば森に還るんじゃないかな。ニュータウンなんて呼ばれる場所は、ほとんどそうじゃない?

かつてたくさんの人々がいた街も、人がいなくなると、時間をかけて、もとあった森に還る。
とても普通な、自然なこと。
ほんま?って聞かれると、本当のことは、僕なんかじゃわかるはずないから想像でしかないけど、それでもこんな風に人知れず森に還っていく場所が、この先日本のあちこちにできるんだろうなって、簡単に想像できてしまう。

自然に全てお任せして、人間が作ったものを放棄して、なかったことみたいに、衰退する日本を見ないでおいたら、300年くらいかかって森に還るんじゃないのかな。専門家じゃないから、具体的な必要年月はだいたいやけど。

放棄された街は、僕の住みたい街じゃないし、いい感じになる300年後まで生きてない。
僕がいま住みたい街は、衰退をポジティブに許容して、300年後そうなるであろう未来にむけて、準備しながら進んでいく街。
「森に還る途中の街」

300年後、その街が完全に森に還った時には、どんな遺構であっても、美しいと感じることがおそらく出来る。
でもそこに至るまでの時間はとても永くて、衰退の初期であればあるほど、ネガティヴで、汚らしい、見たくない何かとして、捉えてしまう。

いずれにしても、永い時間をかければ、美しい状態に自然と至るけど、そこに至る途中を、美しいと感じることができる、そんな活動と街がもしかしたらあるんじゃないかなって。
人間が手を入れて変化を起こしておいて、元に戻すのは自然に全てお任せじゃ、ちょっと勝手がすぎるような気がするし。
自然に逆らわない活動が行われている、そんな街。
「森に還す街づくり」

もはや街づくりなのか、森づくりなのかって訳わからなくなりそう。
街を森に還すことと、人が集まることは、矛盾してるようやけど、これは両立する。おそらく。

その活動は、多くの地域の潜在的な課題に向き合っているし、スモールシティ化に向けた動きのように、始まったばかりでまだ成功事例はないけど、避けては通れない課題やから。

山削って宅地造成とか、大きな箱物建てるとか、使い道のない改修とか、そんなのはもう多分いらないように思う。
あらゆる場所すぐ近くに、すでにたくさんの資産、遺産があるから、その中で取捨選択をして、この先も使えるものは使わせてもらう。使えなくなるものは、少し手を入れて自然にお還しする。

近々の話題に上がる空き家は、最低限の手入れで再建可能で、かつ二つ以上の用途の見込みがあるなら、改修を行う。最低限の定義は「坪単価○○円の改修で、建物としての機能を○○年維持出来る」みたいな感じ?該当しないのであれば、森に還りやすいように、手を入れる。

森に還った時に、そこで事故や怪我がなるべく起きないように、危険なものを取り除く、最低限。森に土に10年単位で還ってくれる素材なら、もうお任せする、自然に。
全部を丸投げしないけど、全部をいますぐやろうとしない。
時間と自然を味方って考える。

その後、インフラの再定義と再整備。
一番の課題となる水問題。
その次道路問題。
これは長くなりそうやから、また今度。

写真三枚目までくらいの現状を、写真四枚目五枚目くらいの時が、なるべく早く訪れるように、人の手で進める。ほとんどはお片付け程度の労力でなんかなるものが多いしね。
あとは、自然が自然に自然とやってくれる。
人間が汚いと感じてしまうものを、キチンとお片付けして、あとは時間と自然にお任せする。
ありがとうございました、ってお片付けして、お還しする。

そのゆっくりとした流れのそばで、少しだけ、一緒に暮らしても良いなら、暮らさせてもらう。
そんな街なら、僕でも居場所はありそうやし、そんな街で、僕は生きて死にたい。

そうか、死ぬまで生きてられる街が僕の住みたい街なのか。死ぬまで、生きてることが、街を森に還す役割となる、そこで生きて、そこで死んでいいよ、って言ってくれる街が、僕は欲しいんだな。
そんな街が自分にとっては、住みたい街。
冒頭の未来都市じゃない、美しく衰退しながら、森に還っていく街。

ゆっくりと時間が経った後、300年後の森が、その物語を静かに、でも確かに語ってくれる街だ。

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