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外務省に転職した元電通マンが語る、交渉最前線で活きるスキル


「外務省において”日本代表”として国際的な交渉に臨む役割は、実は電通でいう営業に近いんです」
堀田さんは電通で広告やマーケティングに関わった後に外務省に転職したという異色のキャリアの持ち主。縁遠そうなそのふたつの仕事の根底には、実は共通して求められるスキルや姿勢があるという。交渉の最前線に立ち続ける堀田さんのキャリアをお聞きした。

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<プロフィール>
堀田真吾さん
外務省北米局日米安全保障条約課企画官。一橋大学社会学部卒業、東京大学大学院修士課程修了(相関社会科学)。2004年電通に入社し、営業及びマーケティングを担当。2010年に外務省に経験者採用で入省。経済外交、対東南アジア外交、SDGs推進、ユネスコ代表部勤務、広報文化外交等を担当し、2021年から現在のポストで日米安全保障協力の推進に従事。  



プロボノ的な関わり方では「見たいもの」が見られない

ー電通から外務省。ちょっと異色な経歴ですよね。
よく言われます(笑)。原体験は何かと言われれば、父が報道関係の仕事をしていた影響なのか、子供の頃からドキュメンタリー番組が好きでした。「映像の世紀」というNHKのシリーズが大好きだったのを覚えています。フィルミングが始まった頃からの世界史を振り返る番組だったのですが、「世界の動きってすごいんだな」と思いましたね。「地球社会の課題」というようなタイトルの授業があるのに惹かれて、大学では社会学部に進学しました。
大学では国際交流団体に所属して、ケニアから留学生を呼んだり、自分達もケニアに行って農村開発の様子を見たりしていました。ゼミでも国際協力について研究していました。大学院では少し研究テーマは変わったものの、パブリックセクターに対する興味は変わりませんでしたね。その時にも官公庁を受けることは当然考えました。でも研究に一杯一杯で、試験対策ができなかったんです。

新卒入社した電通では営業やストラテジックプランニングと言われるマーケティング戦略部署でメーカーを中心にさまざまな顧客のコミュニケーション戦略の立案と実施を担当しました。たくさんのことを学べましたし、やりがいも大きかったのですが、「国際的×公共的な仕事をしたい」という学生時代からの気持ちは消えませんでした

ケニアでの活動の様子

最初は電通の中でパブリックコミュニケーションを担当する道や、プロボノとしてNGOを手伝う道、企業でCSV(社会的価値を戦略的に追求すれば経済的価値も自然に生まれるという考え方)を手伝うことなども考え、時には実行してみたりもしました。でも自分の気持ちに届かなかったんです。
一言で言うと、プロボノ的な関わり方では「見たいものが見られなかった」。それが具体的に何なのかは、今でもわからないんですけどね。
ただ、思い返してみると、昔から、TVや新聞でニュースを見て、「日本の外交はこうしたりああしたりすべきだ」といった意見を耳にしながら、「とはいえそれは中で働く人たちもわかっているんだろうし、のっぴきならない色々な事情があるんだろうな」などと思っていました。どんな経緯が、なぜ起きて、結果そのような政策になっているのか。なぜ、うまく行くことも行かないこともあるのか。新聞の見出しの奥の世界を見たいなという思いがありました。プロボノや民間で「手伝う」のでは見えない世界に関わりたかったんですよね。

国際機関がいいのか、NGOがいいのか。選択肢は複数ありましたが、やはり霞ヶ関にという思いがありました。実は一度、国家公務員試験を新卒として受けることも考えて、実際にチャレンジもしたんです。当時30歳をすでに過ぎていました。会社帰りに試験勉強をしましたが、ダメでした。どうしようかな、と思っていた2009年の夏、新たに経験者採用制度が始まることを知りました。もう、「俺のための制度じゃん!」と勝手に思いました(笑)。筆記試験の時点で80名くらい同時に受けていたそうです。その年に受かったのは私を含む2名でした。

40倍もの選考で評価されたのは「まとめる力」

ー40倍。やはり狭き門ではありますね。どこが評価されたと思いましたか?
選考の中でグループディスカッションがありました。これまでのキャリアではっきりと自分の意見を述べることに重きを置いて仕事をしてこられた方は、「こうだと思います!」とバッチーンと意見をキメるんですが、私は営業で鍛えられていたからなのか、相手の意見を受け止め、いろんな人の話を聞きながら落としどころを探るような動きをしていました。どうやらグループディスカッションを通った人はそういう人が多かったような印象です。もちろん、その中で上手に自分の意見を主張することも重要なのですが。ちなみに英語力については決め手ではなかったと思いますよ。私の英語力も応募者の中で言えば下の方だったと後で知りました。

ーところで転職先を霞ヶ関とすることについて不安はなかったのですか。

ありましたよ!いろんな不安がありました。
一つは、入った後に何をするのか、詳しくはわからないところです。特に総合職の場合、専門性が前提の民間転職とは違います。ジョブディスクリプションもなかったし、どういう準備をしていいのかわからないんです。待遇がわからないと言うのもあります。(※) 人事課も頑張ってくれて、遠回しに目安を示そうとはしてくれる。でも残業代が入っていないので現実よりかなり低く見えるんですよ(笑)。とはいえ世間の水準的には決して低くないお給料なのですが、相対的には低く見えて不安になる瞬間もありましたね。

このような手探りの部分もあって、選考が進むまでは霞ヶ関は決め手不足に思うこともあったですが、内定の連絡をもらった時には直感的に「これは外務省に入るんだろうな」と思いました。ついに自分が見たかった世界に足を踏み入れるんだ、と。

※このような課題を解決するため、VOLVE社にてツールを制作しました。
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ー実際に、見たかった世界を見られていますか。
入省後は経済外交、対東南アジア外交、SDGs推進、ユネスコ代表部、広報文化外交、日米安全保障協力と、実に幅広い分野の業務を担当してきました。
入省する際、人事課がどのような分野に関わりたいか聞いてくれたんです。民間出身ですし「経済外交や国際協力など」と書いたところ、運よくその通り経済局に配属してもらえました。経済分野に関する外交なので、WTOのような多国間の貿易交渉から、地域や二国間の貿易交渉、さらにはAPEC、G7、G20などの国際会議まで、様々な事項を見ている局です。交渉や協議では、外務省がヘッドとして真ん中に座ることが多いのですが、国内の様々な関係者の意見をまとめてチームの代表として交渉するという役割は、実は電通でいう営業に近いです。

経済局では、東日本大震災の後しばらくは復興外交を担当していました。特に、日本産品の輸入規制撤廃に向けた各国への働きかけを行っていました。その後の東南アジア外交担当の部署でも、とある国の輸入規制の緩和を担当しました。4ヶ月後に予定されていたその国との首脳会談で緩和を実現することが目標です。その国の担当者を日本に招待し、福島の現場視察にお連れしました。放射線量のモニタリングの現場を見てもらったり、農水省で政府の取組内容を聞いてもらったりしたのですが、首脳会談では、先方の首脳から「一部規制を解除します」と切り出してくれたんです。首脳会談での先方の発言は事前にある程度予測がつくこともありますが、この時は本番までわからなかった。とてもやりがいのあった仕事ですね。日本の震災復興につながる大きなテーマに向けて、外務省のツールを使って、関係省庁の協力も得て、成果につなげられました。

見たかった世界を見られているか。見られていると思います。外務省に転職して得られたものは何だろうと考えてみたのですが、国際社会の動きを見極める力、スピード感・スケール感、歴史的視点などが思い当たりました。情報が溢れる時代だからこそ外交ルートの情報が重要で、省外の人と話すと自分が日常的にどれだけ大量の情報に接しているかを実感します。スピードやスケールの観点では在外公館のネットワークがすごいです。一晩で全世界中の情報を取りまとめることもできます。歴史的視点に関しては、目の前の動向を歴史的背景の中に位置付けて考えられることが求められ、何十年も前の文書も業務で日常的に参照します。この点は、短いスパンで次々と新しいタマを打ち出すことが求められていた前職の仕事とは、はっきり違うと思います。

意外だったところは、実はベンチャーっぽい部分もあるということでしょうか。例えば、もう8年も前になりますが、SDGsという、当時はまだ誰も知らなかった、先進的な取組をやらせてもらえました。当時は地球規模課題の対応部署にいた時。2015年に国連でSDGsが採択されてから翌年の伊勢志摩サミットまでに日本政府の体制・指針を作っていきました。これまで誰もやったことがない仕事です。国内のほぼ全省庁が関わる中、国連でSDGs交渉をリードしてきた外務省が国内の取組の推進もリードすることになりました。関係省庁も環境省など一部を除いては最初はすごく冷たかったんですよ(笑)。仕組みが出来、認知が高まってくると、徐々にいろんな省庁が本気になって、会議にもキーマンが出てきてくれるようになりました。
現在所属している日米安全保障条約課でも、同じような「攻め」の意識で仕事をしています。課全体としては、アメリカとの安全保障協力を日々推進する中で、手堅さが求められる場面も多いです。でも、私のポストのミッションは、宇宙、サイバーなど、新たな日米安全保障協力の裾野を、前例にとらわれず切り拓いていくことなんです。
こういったケースは稀ではありますが、これまで誰もやったことがないこと、考えたことのないことをやれる機会があり、その面白さが私の原動力のひとつになっていると思います。

ー電通の営業と外交の仕事は似ているということですが、例えばどういうことなんですか?
どちらも「調整」ができれば進むし、できなければ進まない仕事です。大きな仕事を、いろんな関係者を巻き込んで進めるという意味では、舞台は違えど基本的な骨格は意外に似ていますね。自分達の基本的な考え・イメージがあり、いろんな関係者と擦り合わせ、それぞれに違う意見があって。霞ヶ関だと、形にしたいことを紙に書いて、省内外の各所に回してコメントをもらい、自分たちの考えを更にブラッシュアップし・・・という形で進めていきます。
電通でも同じようなことをやっていたんですよね。例えばマーケティングの部署で某メーカーの担当をしていた時は、同じ一つの企画書について、クライアントの中で立場の違う複数の部署にプレゼンしていました。広報部、営業部、製品開発部。みなさんそれぞれ視点が違うので、結構みんな、言うことが違うんです。突き放せば「自分たちで内部で調整してください」となるんですけど、その調整まで行い、間を取り持つことでバリューを出していました。説明する部署に合わせて企画書の言葉を書き直したり、「この言葉ならどの部署でも通じるな」みたいな調整をやっていました。関係者の見解を紙に落とし込んで明確化し、交渉して、みんなが合意できるポイントを探っていく。実は根本的には同じことをやっているんだと思います。
その上での違いは、スピードとスケールですね。突発的な事案が生じれば、「10分後までにこれ、大至急で!」みたいな指示が飛び交う場面があります。複数の国や機関との調整が必要な場合に、オーバーナイトで日本とジュネーブとNYで時差を使って調整するなんて場面もあります。

霞ヶ関の「暗黙知」に苦戦した際、支えになったもの

ー結構すんなり溶け込み、順調に官僚キャリアをスタートできたのでしょうか。
いえいえ。正直な話、最初の3ヶ月、半年くらいは「転職して失敗したかも」と思う時もありました。今から思えば、霞ヶ関には暗黙知で動いている部分が多く、それを掴めるまでの苦労だったと思います。半年経った頃にはそのようなネガティブな気持ちはなくなっていました。少しずつ、小さな達成を積み上げられたからだと思います。初めての国際会議、初めての交渉、初めて首脳にお会いした…そういった小さな達成があると、この先ももっと達成感を味わえると思えました。経済局で、G7やG20といった華やかな外交現場に早いタイミングで関われたというのもあると思います。政府専用機に乗って、関係者パスを首から下げて…。当時まだ中身では貢献できていませんでしたけど、「頑張ればこういう世界にどんどん関わっていけるんだ!」と思えました。
「見たい世界があるから」外交に関わっているなんて、軽いモチベーションに聞こえてしまうかもしれませんが、なんだかんだ本音で言えば、「普通なら知れないことを知れる」という知的好奇心が霞ヶ関に足を踏み入れた背景にある人は少なくないと思います。もちろん、野次馬ではだめですし、自分なりのビジョンや意見を持って仕事をすることは常に求められます。でも、立派な国士じゃなきゃ外交できない、なんてことはないと思うんです。

ー経験者採用で入った人ならではの課題や、労働環境の課題はありますか。
現在外務省の総合職には15名くらい経験者採用の人がいます。放送業界・金融・法曹・国際機関など、バックグラウンドはさまざまです。一部の省庁に比べやや人数は少ないですが、その分密にネットワークがあり、みんなで飲みに行ったり、チャットで経験者採用ならではの悩み相談をしたりしています。
いま、外務省では事務次官のイニシアチブの下で業務改革やDXを推進中です。あるとき、次官が、中途採用者の一層の活躍に向けて、本人達の意見を直に聞きたいと言ってくれたことがありました。中途採用者の中で自主的にアンケートを取り、改善案をまとめて次官に直接プレゼンしたところ、「これはできそうだね、やってみよう」とその場ですぐ案件化してくれたんですよ。メンター制度の導入など、中途採用者への対応についても、改善できる処置はすぐにやろうということにその場でなりました。もし応募するにあたって不安を持っている人がいたら、こうやってみんなで助け合える環境が外務省には確かにあると思ってほしいです。

ちなみにワークライフバランスも思っていたより柔軟でした。特に最近は改善してきています。今いる部署は国会の質問がたくさん当たることもあり、かなり忙しい方です。それでも、課長を先頭に非常に意識高く対策を進めていて、DXやテレワーク、柔軟なシフトを駆使して無理なく働くようにできています。家庭の事情で帰りたいのに帰れない…ということは流石にもうないですね。もちろん緊急事態が起きた際には、いなければいけない時もありますが。メリハリをつけるための組織的な環境が整ってきています。 

まだキャリアを「上がり」たくない。純粋な気持ちで挑戦し続ける

もはや一昔の話なのかもしれませんが、大きな組織で仕事をしていると、45歳って「上がり」に近くなっちゃうケースもあると思うんですよ(笑)。クライアントとの打ち合わせを夕方に入れて、そのまま飲みに行こうか…なんて。
対して役所では、もちろん若いときの経験も大事ですが、課長になってからが本番とも言われます。一つ一つの判断の質が問われることになり、外国との協議のヘッドなど、重たい役割も増えますが、これからも挑み続けていきたいです。また、霞ヶ関は意外と柔軟で、個人的に、ウクライナ避難民の受け入れという、担当業務とは別のテーマについてシンクタンクのワーキングペーパーを書くような機会があっても、止められることもなく、「興味深いね」なんて応援してくれる人もいました。社会的、組織的な役割を果たせるように、個人的な興味と両輪でキャリアを叶えていきたいです。

 本当に、転職してよかったと思います。迷ったり悩んだりしたこともありましたけど、「見出しの奥が見たい」という純粋な気持ちに従って頑張ってきてよかったです。これからも、そういう「見たことがない世界を見てみたい」という気持ちは変わりません。


【編・写:大屋佳世子】


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