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世界を変えてしまっためがね


皆さんこんばんは。

本日は先輩の送別会に参加している最中にnoteを書くというイレギュラーな状況が発生しています。


そして、もうほぼ悪ノリに近い感じですが「めがねについて書いて!」という無茶振りなテーマを頂いてしまいましたw


でもそんな無茶振りから逃げるのもなんか悔しいぞ。
こうなったらめがねについてとことん書いてやる。
縦横無尽にめがねについて語ってやる。


そんな心持ちで筆を走らせています。




…いや、めがねについてってなんだよ。


■ 僕とめがねの出会い


僕がめがねをかけ始めたのは、高校一年生の頃からです。

その頃徐々に視力が落ちてきていたため、正直あまり好きではなかっためがねをかける流れになりました。


■ めがねによって変わってしまった世界


僕自身は何も変わっていないのですが、周囲が僕を見る目が変わったことにより、若干他者との関係性が変化したような気はします。


「真面目っぽい」とか「エセインテリ」など中学のころ貼られていなかったレッテルを貼られるようになってしまいました。


そんな感じで他者からレッテルを貼られ、他者の自分に対する態度も変容していくにつれて、貼られたレッテルが正解なんじゃないか思い込んでいる自分がいることにも気づきました。


もしかして、めがねって精神的にも世界の見え方を変えてしまう力があるのではないか、そんなことを今思っています。


■ 今めがねから解放されるフェーズに来ているのではないか


最近自分自身に「どう在りたいのか」という問いを投げることがあります。


明確な答えは出たり出なかったりですが、常に自分に対して誠実でありたいなあ、ということは割と強く思うようになりました。


そう考えると、他者からの評価に振り回されないためにも、今めがねを書けない本来の自分に戻るフェーズが来ているのではないか?


そんなことを考えてしまいました。


■ なんだこれ


なんだこれ。

こんなテーマを与えた先輩を恨みつつ、筆を置いてワインでも飲もうかな。


今週もお疲れ様でした!


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