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痛みと付き合う

脚の筋肉の抉れの話をして、それ、腓返りだよと主治医に言われて、初めて知ったときからもう3、4年。
最初は右足向こう脛の横だけだったのが、両足にできて、今は数カ所になっている。以前は、夕方から夜に出ていたのが、最近は一日中になってきた。

朝、目が覚めると、また痛い一日が始まるなという思いと、一瞬、ちゃんと立てるかなとの不安がよぎる。痛みを感じながらでも、歩けることを確かめてホッとして、まずは甲状腺の薬を飲む。

起きがけに飲む薬。忙しさにかまけて忘れていると、急に疲労感に襲われる。
あれ?となって、薬をまだ飲んでないことに気づき、慌てて飲む。

ずっと飲んでいた、耳の薬を先日やめた。
難聴だった左耳の聴力が回復をしたのと、目眩が収まったのと、耳鳴りは治らないのと聴力とは関係ないからと言われて…
何年も飲んでいたので、止めることに不安があったけど、主治医の先生が、また悪くなったら飲めばいい、耳の空気抜きは、2週間置きね。と、言ってくれたので、安心した。

数年前の誕生日。
2度目の三十代を謳歌しようと、ワクワクしていたことを思い出す。
心理の勉強を始め、よい師に恵まれて瞑想を日課にするようになり、信じられないくらい健康になって過ごした10年間がちょうど過ぎた頃、足の調子がおかしくなった。1、2年はさほど気にならなかったのが、ある時、サンダルを履いていて、ばったり転び、そこから一気に不自由さが加速した。多分、二次障害なんだろうなぁとは思っていたけれど、脚の痛みがどんどん酷くなり、腓返りのような痛みが起こるようになって、大学病院を受診。
やっぱり二次障害だった。

その3年後、亜急性甲状腺炎に罹り、それが治り切らず慢性の甲状腺疾患に移行、ずっと薬を飲み続けることになった。
脚のほうの痛み止めも、完全には効かないけれど、飲まないともっと痛いので、これからも飲み続けることになるんだろうなぁ。

数年前は、痛みが来ると辛くて、家族に泣き言を言っていたけれど、最近は、痛いいこと自体は諦めて、あまり痛い痛いと家族の前では言わなくなった。
言ったところで、痛みが消えるわけでもないし、軽くなるわけでもない。

ただ、あまりに痛いときは、自分の意思とは関係なしに涙が出る。最初、涙が出た時は、正直、混乱した。
えっ、私、泣きたいと思ってないんだけど、どうしちゃったの?
と、無意識、無自覚の涙に、気持ちが追いついていかなかった。
一旦、冷静になってみてわかったのは、痛くて涙が出たということ。

泣くとき、涙が出るときは、感情が湧きあがり、それに伴って引き起こされるものだと思っていた。でも、違っていた。
痛いという身体症状があまりに強いと、意思とは関係なく涙が出る。
これには驚いた。と同時に、ある人のことを思った。
こういうことだったんだ…と。(プライバシーに関わるのでこれ以上は書きません)

カウンセラーの仕事は、わからないが基本。
クライエントさんの苦しみや、悲しみや、諸々のことは、そのひとにしかわからない。ただ、寄り添うという心の内側で、寄り添おうとする気持ちのどこかに、ほんの少し自分の今までの体験、経験での痛みがあるかないかで、寄り添い方は違うと思ってきた。
でも、自分が実際、痛みで涙を流したとき、そして母を亡くしたとき、今まで自分は、寄り添っているつもりになっていたのだと、つくづく思い知らされた。
想像は現実を超えないのだということが、はっきりわかった。

涙が出るときは、そのままでいよう、そのままにして泣くことにしている。
自分ごとだけど、きっと涙が出るほど痛いし、つらいのだろう。(薄々感じているけれど)
涙を流したから、痛みが軽くなるわけではないけれど、気持ちは幾分軽くなる。
そんな風にして、いつ終わるともわからない、痛みとの付き合いをこれからも、続けていくのだろう。


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