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原始の記憶〜ケチャ〜

ケチャをご存じだろうか?

私は小学生の時、音楽の時間にケチャを聴いた。

ケチャとは、インドネシアのバリ島で行われてきた合唱舞踊芸能。詳しくは下の芸能山城組さんの解説に任せようと思う。

100人ほどの男性が座って円陣を組み、手や身体を動かしながら、声でストーリーを演じていく。

ケチャは多くのパートに分かれており、当時のレコードの解説には、それが楽譜で書かれていた。学校から帰ってきて、それを1つずつ声に出しながら、何度もレコードを聴いた。

そのレコードが何故家にあったのかは不明…もしかしたら自分で買ったのかも。

民族音楽としての

私がケチャに惹かれた理由の1つが、その「独特の声」

それは、幼稚園から【オルガン、教会、讃美歌、合唱】と、母の影響で西洋音楽にどっぷりはまって育ってきた私にとって、真逆の発声法だった。

そこから小泉文夫さんの民族音楽研究本を読み漁り、自分はなんて狭い世界で「音楽」というものを捉えてきたのかと、小学生ながらに思ったのだった。

それ以来民族音楽に傾倒し、民族楽器を買ったり、尺八を習ったり、和太鼓のグループに入ったりして、西洋音楽と自分との葛藤も感じていった。

(〜ねばならない、という音楽教育に嫌気がさしたのもその頃。民族音楽は自由でいいなあ、くらいに思ってたけど、よく考えれば、他のジャンルだって、その中で「ねばならないこと」はあるだろうに)

声のことで言えば、日本にも民謡や浄瑠璃など独特の発声方法があるにも関わらず、私の人生で交わることがなかったために知ることがなかった。

ケチャの発声

私の勝手なイメージだが、森に住む動物たちのような声だと感じる。特に猿に近い。時々レコードから聞こえてくる鳥の声と、全く自然に馴染んでいる。

あの響く強烈な発声、そしてトランスと、ドーンと緩み沈むリズムを繰り返す感覚。

自分は自宅にいながら、森の中で聴いているような臨場感。

むせかえる緑の中で聴きたい!
目の前で見たい!

小学生ながら、何度も思った。

これが私とケチャとの強烈な出会いだった。


タイムリーなことに、2024年もケチャを新宿で見られるようです。
ご興味ある方はぜひ。



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