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西新宿での偶然と出会い。そして4年ぶりのケチャまつり

日曜の晩、西新宿に行ってきた。

4年ぶりのケチャまつり最終日、19時のケチャに間に合うように。

到着した時には、すでに一階は、入場制限がかかっていた。

俺以外にも、こんなにもケチャを楽しみにしてる人がいるんだな。

到着時の会場(解像度を落としているので、顔の特定はできないと思います)

ケチャとの出会い

ケチャを知った最初は『島耕作』だったと思う。

島耕作は、派閥に所属することが嫌い。だが、いつの間にか社長派に間違えられ、常務派から会社を追い出される。会社も愛しているし、辞めたくない島耕作は、周りには有休と伝え社長派の走狗として、株主工作のために、初芝電産の個人2番目の大株主(1番目は創業者の実娘、現社長夫人)である大町愛子(創業者の愛人)に会いに行くためにインドネシアのバリ島に行く。

大町愛子邸では、大町愛子がエマニュエル夫人のような妖艶さを見せる中、大町愛子のバックでは、ケチャが行われる。トランス状態に見える大町愛子…

トランスするほどの音楽ってどんなんだろう?

これがケチャとの最初の出会いだったと思う。

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その後、ずっとバリ島のこと、ケチャのことを知らないまま過ごしたが、ある時、何かのテレビ番組でケチャを見た。この時、ケチャを見るためだけにいつかバリに行こう! と決めた。しかし機会はなく、時々、思い出して調べても、ずっとYouTubeにも、ケチャの動画はほとんどなかった。

(このnoteの後ろにリンクを貼ったように、今ではいろんな動画がある)

ケチャとの遭遇

ケチャは、バリ島の舞踏サンヒャンを原型にしている。『ラーマーヤナ』の物語を題材とする舞踏劇で、1920年代後半から1930年代にかけて、バリ芸術を発展開花させたドイツ人画家 ヴァルター・シュピースが、バリの人と一緒に「芸能化」をすすめたそうだ。

2019年、当時、勤めていた西新宿で仕事帰りにたまたまケチャ祭りを見た。まさか、日本で、新宿でケチャを見られるとは!!!

たまたま新宿で見かけたケチャに、比喩ではなく本当に体が震えた。これだよ、これが見たかったんだ! このとき初めて、ケチャが舞踏劇であることを知った。ただのダンスと歌じゃなかった。

後悔ばかりの前職だが、西新宿に勤めてなかったらケチャを見れなかったのだから、それだけは感謝しないといけないかもしれない。

4年ぶりのケチャまつり

予定の19時から少し遅れ、19時10分、それは始まった。

待ち望んだケチャだ。

混雑を避けた舞台の裏手、この写真を撮った場所で1時間弱、ケチャを堪能した。日本人がやるケチャなので、声や音に時々、日本人の声を感じる。独特のものではあるけれど、発声自体が特殊なものではないのかもしれない。でも、このリズムだよ、この音(声)だよ。揺れる体、天にかざして小刻みに揺れる手。

ケチャを見ることができて、ケチャを聞くことができて、本当によかった。
ケチャを日本で見られるように、上演してくれている芸能山城組を応援していこう。

ケチャについて

ケチャまつりをおこなっている、芸能山城組のケチャ(2019年)はこちら。

(2023年)

ケチャは、4つのパートに別れているらしい。
(ファミコン実機演奏と同じじゃないか!)
でも、一声目を上げる人は4人以外に必要そう。

いつか、演者側で参加したいなァ。

※現地のケチャの動画

いろんなケチャがあるよう。バリでも見たい。

いつか行きたいぞ、ケチャツアー!


いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。