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歌で稼いでいたあの頃 寝ても覚めてもボイトレ思考ー第2夜ー

津軽海峡冬景色

歌を歌い始めたのは、3歳の頃。 5歳の頃、夜な夜な父に連れられて通っていたのは、酒場(スナック)でした。 当時、最初に覚えた歌が「津軽海峡冬景色」 父が買ったギターの楽譜に、載っていた曲でした。(となりのページは「くちなしの花」) まだ当時珍しかったカラオケ(父も歌好きで、自分でカラオケの機械を行きつけのスナックに自費で導入)で、幼稚園児が歌う津軽海峡冬景色。そりゃー近所のおじさまおばさまが喜んで下さること!!(笑) ティッシュにくるんだ千円札。 いわゆる、おひねり。 ポケットいっぱいに持って帰っていたのを思い出します。(もちろん、帰ったら母管理。) 思えば、あれが一番最初に「歌で稼いだ」記憶です。

当時は決して上手ではなかったはず

そう、いくら歌が好きとはいえ幼稚園児。 特に音楽的な何かを習っていた訳でもありませんでした。 ただ、一生懸命歌っていた。 それだけだったのですが、「こんな小さな子が演歌!!」という珍しさもあいまって、皆さん喜んで下さったのだろうなと今なら分かります。 人の心を動かすものは、決して「上手」というだけではないのだと、自分に思い返させてくれる大切な思い出だったり。 その後 「くちなしの花」 「ルビーの指輪」 「てんとう虫のサンバ」 「待つわ」 などを覚え 小学校3~4年あたりからは中森明菜の曲を歌いまくっていた記憶があります。(ええ、もちろんスナックで。今なら条例違反ですね(笑)) 演歌の手拍子も、そこで覚えました。 スナックのママさんやお姉さんはいつも優しくて、飲んでいるおっちゃん達は、いつも楽しげでした。 そう考えると、マイクの使いは、年季入ってます!(笑) その後、小学校高学年で合唱部へ。5年生で、NHK合唱コンクール奈良県大会金賞。 その時の写真は、今でも母校に飾られています。

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