わたしの#もしも叶うなら


叶えたいことは数えきれないほどあります。これ!とひとつに絞ることができませんでした。そんなもんでしょう、ですので少し趣旨が異なるかもしれませんが、#もしも叶うなら 15歳、同級生のあの子ともっと話をすればよかったとは思う話です。お察しの通り昔話です。長くなりますので、ご容赦ください。

当時15歳のわたしは、クラスの中では目立たず騒がず、かといって隅でひとりでいるような大人しい子ではありませんでした。人並みにやんちゃもしたし、恋人ができたりできなかったり、友達もまあそこそこいました。
友人のひとりに、えみちゃんという子がいました。ぱっちり二重で線は細く、いつも肩甲骨まで伸ばしたきれいな黒髪をふたつに結んでいました。幼なげな顔立ちでしたが、背が低いこととエネルギッシュな高い声がますます幼なさを助長させていました。きれいな歯を惜しげもなく晒して、意外と豪快に笑う子でした。
カラカラと笑う彼女が好きでした。

当時15歳の女子たちにとって、せまい教室の中での出来事がすべてでした。大人から見ればほんの小さな空間が、わたしたちにとっては世界でした。懐かしいですね。今はそんなこと微塵も思いませんが、本当に真剣に、そんな小さな世界で全力でした。

その年頃の子供たちが勤しむものがあります。不思議とそれは廃れることなく、地域や時代に関わらず脈々と受け継がれています。
ねえ、あいつムカつくんだけど。わかる、調子のってる。ねえ、明日さあ、
簡単に言えばいじめというやつです。特に女生徒の関係はまあ難しく、昨日まで罵り合っていたと思ったら今日は顔を突き合わせて笑っている‥
彼女も例に漏れず、仲間外れごっこのひとりでした。お察しでしょう、被害者側です。

理由はなんだってよかったんだと思います。男子と喋りすぎた。テストの点数が上がったからって喜びすぎ。新しいヘアピンつけてきてる、調子にのってる。おそらく、当時のことを聞いて回っても覚えている人はほぼいないでしょう、それくらい根拠のないものだと思いました。

いつも元気な彼女が席をたたずに、俯いて面白くもない数学の教科書を黙々と読んでいました。違和感しかありません。そこまで勉強熱心な子ではなかったので尚更。
なんとなく事情を察して、大丈夫?なんて声をかけると、教室の隅から鋭い視線を感じます。仲間外れごっこの主催者達です。男子たちの怖ェ、という呟きはしっかり耳に入っていたでしょう。側にあった椅子を蹴り上げて、何だか吐き捨てた後、教室を出て行きました。あれほどきれいな舌打ちを聞いたのは、おそらく学生生活最初で最後だったでしょう。

うまく言葉選びができないわたしは、大丈夫?しか言えませんでした。どう見たら大丈夫だと思うんだと自分の頭を叩きたくなります。
えみちゃんは、さも今気づいたような顔をしてわたしににこりと笑いました。
「大丈夫!慣れてるから!」


ネタばらしをしておくと、その仲間外れごっこは1週間と保たず、次の週に入る前には、えみちゃんは元々いたグループに舞い戻り、一緒にトイレ行こう、が再開されていたわけです。
その後なんやかんやとあり、当時首謀者だった女生徒は不登校。そうなってしまえば掌を返すのは上手なものでした。彼女の不在をいいことにグループ内ではあることないこと、理不尽な言いがかりも悪口も好き放題。
一方えみちゃんは、そのグループから脱退し、他の大人しい子たちの集いで平和だったと思います。カラカラと笑うのは変わらず、髪は短くなって結える必要はなくなっていました。

未だに考えるんです。被害者でも首謀者でもないただの友人Aが、何年前のことを言っているんだと言われそうですが、あの時の「慣れてるから」があまりにも衝撃的で。まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかったもので。
どのような真意で彼女がそう言ったのかは図りかねます。卒業後、偶然再会したときもぴかぴかの笑顔を見せてくれたことを考えると、彼女にとっては本当になんでもないことだったのか、強がって口から出てしまったのか、本当に慣れてるから大丈夫だったのか。幸いにもわたしは、被害者にも加害者にもなることなく、平和に生きてきました。ですので、当事者たちの胸の内はわかりません。今となっては聞くこともできません。

もし叶うなら、大丈夫?としか聞けなかったわたしの頭をばかやろうと叩いて、あの子を教室から連れ出して、1時間サボる覚悟で話をすればよかったと、今となっては思うばかりです。


長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
もしよければ、感想でも意見でも、なにか一声かけてくださいね。

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