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喋らないと喋りはうまくならないし、書かないと文章はうまくならない

「ぼく、絵下手なんで」と散々言ってきました。でも「下手と言えるほど書いてきたのか?」と言われたら、そもそもの話し、上手い下手を評価できるくらいまで夢中して描いてきません。

下手なんじゃなく、やってこなかったからできないだけ。

それ以上でも以下でもない。ナレーションやお芝居、喋りだってそれなりに練習してある程度できるようになったんであって、当たり前ですが最初っからなんてできませんでした。同級生が台本を読ませてもらえている中、ぼくだけは基礎練習を何度やらされたか‥。いやぁ、いい思い出です。


いま、YouTubeにアップロードするための朗読を収録しているんですけど、言葉遣いと内容が普段接する機会のないジャンルなので難しくてやんなっちゃいます。誰から頼まれているわけでもないのでやめることだってできるのになぜやるのか?

知らない言葉に触れられるチャンスだから。

知らないことに触れるチャンスは、誰かから与えられるもんじゃないと思うんですよ。そういう人もいるでしょうけどぼくにはナイ。だから自分から触れにいく。

おおやけにできるものしか載せていませんが、載せてるもの以外にも去年はたくさんのナレーションをやらせて頂きました。来週ラジオの生放送があるんですけど、それも他のお仕事から繋がったご縁。目に見えることが全てじゃないんです。

今年はここを考えていける人になりたいですね。

目に見えるものだけを見て「こういうことをやられてるんだから素敵じゃないですか」と、表面しか見れていないことばっかり言ってしまった去年。

喋りが上手くなりたいならたくさん喋る。文章が上手くなりたいならたくさん書く。

そこからだんだんと「あ、ここはもっとこうしよう」とか「これを入れた方がいいかな」とわかってくる。ここに到達するためにもまずはとにかくやる。


キングコングの西野さんが「絵が上手くなりたいんですけどどうしたらいいですか?」と言う質問に対して「手を見る」と答えていたのがすごく印象的だったんです。

「ペンダコもできてないのに“上手くなるには?”なんて悩むのが早すぎる。まずは描け。話はそこから」

と言っていたから。まるで自分が言われたかのようにズギンっときたのを覚えています。なんでもそうですが、上手い人はたくさんやってきた人なんです。そこを無視して「〇〇さんはできてるじゃないですか!」なんて言ってしまうのはなんだか失礼な気がしてしまって。でもそれをしてました。

勝手な解釈をするのではなく、相手の“過程”も考えながら喋ること、書くことをしていけるように頑張っていきます。



ナレーター
有野優樹(ありのひろき)

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