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私ってこんな人

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私についての記事をまとめました。失敗した話が多いです。
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記事一覧

一人だけ白線のセーラー服を着ていた話

親の転勤で様々なところへ行った。幼稚園は2つの園、小学校は4校、中学校は2校、違う学校へ通った。 中学では、入学して1か月で転校が決まった。 3本の白線のセーラー服から同じセーラー服でも線の色は濃紺で2本線のセーラー服の学校へ転校した。スカートのプリーツのつけ方も少し違っていた。 1か月しか袖を通していない制服を買い替えるのはあまりにもったいないということで、親が学校に許可を取って、白線のセーラー服を着続けることになった。 「いいなぁ、白線のセーラー服」 「お、アディダ

自分の部屋がなかったら・・・

長男が一人暮らしをするまで、私の部屋はなかった。 自分の部屋がなかったときは、リビングにある自分の机がパーソナルスペースだった。自分の机を買う前はダイニングテーブルに教科書やパソコンを広げて本業の仕事、お笑いAI画像生成日本語教師の授業準備をしていた。食事の度に、教材を片付けるのが大変だった。 先ほど、noterさんのコメント欄で、自分の部屋はないから、お子さんがいないときの子ども部屋やだれもいないときのリビングで創作活動をされているというコメントを読んで、はっとした。

健康診断のドレスコード

年に一度健康診断を受けている。 年末か年度末に受けることが多い。 前日まで猛烈な忙しさで、当日はその疲れを引きずってぼーっとした頭で病院へ向かうことがほとんどだ。 だから、朝、着て行く服にまで頭が回っていない。けれども、着替えがしやすい服装という点にだけ気をつけていればいいので問題はない。どのみち健診着に着替えるわけだから。 5年くらい前だろうか。 当時、私は「腹巻一体型パンツ」にハマっていた。名前のとおり、腹巻と下着のパンツが合体している、それはそれはあたたかくてお

新入社員が水をかけてあげようかと言われた話

じょうろを見ると思い出す話がある。 新入社員の時の話だ。入社間もない頃、旅行会社で私は仕事を覚えるのに必死だった。失敗も多かった。大きな失敗もした。 ある日、上司が私の横に椅子を持ってきてデスクに肘をのせ、頬杖をつきながら真顔でこう言った。 「ねえ、ねえ。優谷ちゃん、お水をかけてあげようか」 え? 私また何かやらかした? やばっ? オロオロする私に上司が今度は笑顔になって続ける。 「いやー、早く一人前の戦力になるようにさ!」「水も肥料もかけてあげたい気分なんだよ」

車は白線の内側に駐車してください(車にまつわる話3)

車は白線の内側に駐車する。至極あたりまえの話だ。 でも、「車止めの修理工事をするしばらくの間、白線をまたぐように止めてください」これが、3週間くらい続いたら?それはもう、私の中であたらしい習慣として身についてしまったのだ。当時住んでいた家の駐車場でのことだ。 ある日、私は歯医者さんへ車で出かけた。 その歯医者さんの駐車場は車通りの激しい大きな道路に面したところにあった。その駐車場にとめるには、まずできるだけ車道の左端に寄って50m位後方にある信号が赤になるのを待つ必要が

サザエさんになった日

財布を持たずにスーパーへ行ったことがありますか? 私はあります。(自慢してどうする) その日、私は財布を持たずにスーパーへ行った。 早くに気がつけばいいものをレジに並んでいる時になって財布を持って来なかったことに気が付いた。 はっ。どうしよう。財布持って来なかった! かごの中のもの、戻す?いやそれはダメだな。多すぎる。不審者すぎる。 一度かごに入れた未購入品を大量に棚に戻すのって、よくない。 はー。もう順番来ちゃう。恥ずかしいけど、言うしかないな~。 慌てて、頭の中

私の車はドコデスカ?(車にまつわる話2)

広い駐車場に車を止めたら、そこを離れる前に駐車場の番号を普通は確認するものだ。東のAとか5FのBとか。 私はしなかった。 あの日、私は初めて一人で遠くまで車を走らせた。片道30分の道のりは、私にとっては冒険だった。無事に到着した嬉しさと緊張が解けた膝をガクガクさせて、ヨロヨロと店内に入って行った。 一人の時間を満喫して、そろそろ帰らなければと駐車場へ戻ろうとして真っ青になった。 私は、どこに車を止めた? 額にじわーっと汗が滲み出てくる。次男の幼稚園バスが家の前に到着

バランスボールか昇降デスクか

ふだん、日本語学校で授業があるときは、ずっと立っている。朝、家を出てから授業が終わって教務室に戻るまでの間、ほぼ立ちっぱなしだ。 朝5時半に起きてから午後1時くらいまでの間座っている時間はおそらく30分あるかないかぐらいだ。 なのに、2020年の4月からの1年間、生活は一変した。授業は全てオンライン。通勤する必要もないから、ずーっと座わる生活を送っていた。 対面授業ではあり得ないスケジュールの日もあった。午前と午後で違う学校の授業をやるということも経験した。移動の必要が

はじめまして!自己紹介です。

はじめまして! 日本語教師歴10年以上×宅録ナレーターの優谷美和と申します。 今日は、自己紹介を書きます。 名前について 優谷美和(ゆうたにみわ)は、活動名です。下の名前は本名に似ています。 本名よりも美和に間違われることが多く、私自身もこの名前が好きなので 美和を使って活動しようと決めました。名字のほうは、漢字の意味と音の響き、画数の良さで決めました。 職歴 旅行会社(外国人旅行課)4年  ↓ 外資系証券会社(人事部)2年  ↓ 日本語教師 10年+ 継続中  ↓

私が日本語教師を目指したきっかけ

今日は、私が日本語教師になったきっかけについて書きます。 新社会人 社会人になって初めての職場は、旅行会社でした。部署は外国人旅行課というところです。今で言うインバウンドです。 観光で訪れる個人や団体の旅行客、国際的なイベントや国際会議、企業のインセンティブ旅行向けのホテルやレストランの手配、旅程管理などを担当していました。 実は、旅行会社に採用が決まり、配属が発表になる前は、漠然と海外旅行部門に行けたらいいなと考えていました。 しかし、入社後の新入社員研修中に、希

日本語教師になるまでの道のり

今日は、私が日本語教師になるまでの道のりについて書きます。実は、私、日本語教育能力検定試験に2回も落ちています。そして、日本語教師としてデビューする前に4年間もボランティアの日本語教室で経験を積んでいました。今、振り返ってみると、よく諦めなかったなと思います。 日本語教師養成講座 前回の記事では、日本語教師を目指したきっかけについて書きました。 日本語教師養成講座の受講は、下の子供が幼稚園に入園し、上の子供が小学2年生になったタイミングで始めました。 子育てに重

12月30日のサンタと着ぐるみ猫

幼少の頃、着ぐるみのキャラクターが怖かった。人生で初めて見た着ぐるみが「ゲゲゲの鬼太郎」だったからだと思う。祖母に連れられて見に行った着ぐるみショーがそれだった。 正確に言うとショーは怖くて見ずに帰った。ショーの会場に近づくにつれ聞こえてくるあのおどろおどろしいオープニングテーマソング。そして、前方20メートル先に見えるゲゲゲの鬼太郎ご一行様。私の足はストップする。「おばあちゃん、こわいよぉ~。帰る。」 そんな私が将来着ぐるみを着ることになるとは、人生わからないものである

朝のチャレンジ

信号待ちで一緒にスタートを切ったはずなのに、彼女と私との距離はみるみるうちに開いていく。なんだか悔しい。 朝、ひそかにチャレンジしていることがある。 家から最寄り駅までの道でよく一緒になる人がいる。20代だろうか。若い女性だ。リュックを背負ってスニーカーを履いている。特別背が高いわけでも、足が長いわけでもない。筋肉質という感じでもない。 が、この彼女は歩くのがとんでもなく速いのだ。 どれぐらい速いかというと、もし並んで歩こうとするなら間違いなく私は途中で小走りをしなけれ

甘いコーヒー、甘くないコーヒー

ネガティブなことは言いたくない。 言わないように気を付けている。 つもりだった。 先日、日本語学校の同僚の先生とランチをした。 その先生はとっても明るい。 発する言葉がとてもポジティブで 一緒に会話していて楽しい。 いつも元気をチャージしてもらっている。 2,3日会えないとこちらの気持ちがしょんぼり してくるほどだ。 食後に頼んだアイスコーヒーを 先に口にしたのは私のほうだった。 私:あれ?甘い。   うわっ。甘いのかー。 U先生:ガムシロップが出てこないってことは