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【研究発表】生産性のあるディスカッションをしましょう

はじめに

ボクは研究発表のコメントとか、アドバイスとかを頼まれることが多い。それはボク自身が研究室のアシスタントをしているからだと思う。いろんな場面で「飯島さんはどう思いますか?」と聞かれることが多い。


ボクの今までの指摘の仕方

そんな時、指摘したいことがあるとする。例えば、研究発表する人が文献をしっかり調べてこなかったとか、あるいは「先行研究はありません」とか。実験はまだ行っていません、とか。まあ、そんな類のもので、挙げ出したら、キリがないのだけど(本当にキリがないのです笑)。

そのとき、以前のボクなら、こういう言葉を使っていた。

なんで先行研究調べていないの?
なんでできないの、それくらい!

この言葉、2つの問題があるのにお気づきだろうか?

1つ目。「なんで」という言葉を使っている点。実は、これはマネジメントしてみてわかったのだが、「なんで」という言葉には相手を責めると同時に何の生産性も生み出さないということがある。例えば上の「なんで先行研究調べていないの?」というのは、大抵の場合「すみませんでした」とか「時間がありませんでした」という発言しか返ってこない。それではなんの生産性もない。仮に時間がないとしたら、どのようにしたら時間を捻出できるのか考えるのが生産性のあることではないだろうか(まあ、研究発表でそこまでしない、後で個別に連絡)。

2つ目。この言い方(書き言葉だから、なかなか見えてこないけど)には、人を責めているような印象がある。間違ってはいけない。その研究を最も知っている人は責めているあなたではなく、発表している本人なのだ。よって、その研究を最も知っている人に聞いているわけなので、責めることは事実上できないはずである。そんな相手への敬意を忘れて、発言している人は意外といる。


ある教授の指摘の方法が素晴らしかった

というわけで、以前のことを語ってきた。そんなボクだったので、今の研究室に所属する前、1つ前の研究室で相当、教授に指摘されていたのである。しかしその教授は指摘するときに以下のような発言をしていた。

どうしたら、先行研究調べられる?
どうすれば、卒論の締め切りに間に合う?

ボクはこの言葉をきいて、「ああ、それはいいな」と思った。

最初に「なんで」ではなく「どうすれば」という言葉を使っているところがいいなあと思ったのである。どうすればというのは、手段を聞いている。手段である以上「グーグルスカラーで検索してみたいと思います」という発言など、解決策が答えとして返ってくる。そのほうが、相手にとっても自分にとっても気持ちの良いことのはずだ。

次に言い方として責めていないところ。実は、心の居場所感というのは日本人は特に求めたがる傾向があるということをどこかの研究で聞いたことがある(すみません、出典不明です)。それは研究室でも同じようなことが言えるし、何しろ学生の間での仲の悪い研究室は、論文等の生産性も落ちるのではないだろうか?

研究室だからとか、職場だからとか、そういう視点で「だったら、何をしてもいい、ドライでいい」と思っている人はいる。もちろん、研究室だからといって職場だからといって「チームのために自分がいる」のである。「自分がチームに所属している」以上、「チームのために自分がいる」のだ。せめて、チームのために何ができるのか、くらいは考えられる人に研究室に来てほしい

最後にーかつてのボクの話ー


かつてのボクだったら、メチャクチャにいって、その人の研究発表を潰していたような気がするけれど、最近は「いかに建設的な議論をするか」ということに徹している。当たり前ではないかと思うけど、まあ、少なくともそれをするには訓練を必要とした。相手への敬意がたりなかったのかしれない。仕事だからといって何をしてもいいということはない

今日はここまで。いずれにせよ、相手と生産性のある議論をして、研究でのディスカションが楽しいと思ってくれれば、嬉しいのだ。


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