見出し画像

術後3ヶ月目の憂鬱

術後の経過をサクサク書いていくつもりが、すっかり3ヶ月近くも経ってしまい、我ながら唖然としている。
病気ハイ的な期間を経て、心身ともに良くも悪くも大きな変化があった。

……と、掲題の話を始めるまえに、私がこのnoteを書こうと思った経緯を記しておきたい。

もしかして、という予感があった時、検診で「乳ガンの可能性あり」と示唆された時、私は真っ先にインターネットに情報を求めた。
現代では誰もが行う「ググる」行為を、当然のように私も行ったのだ。

ガンという病は人によって状態も治療方法も様々で、まさに文字通り十人十色の世界だという。
けれどネットに出てくる情報といえば、乳ガンの罹患により無念にも未来を断たれたかの女子アナを筆頭に、ほとんどが辛く悲しい結末に至るものだ。私自身も「がん=死」という認識だった。
ポジティブな意見というのはネットに限らず表面化しにくいものではあるが、それにしても少ない。

ネットで目にした記事の多くに、正直私は共感できなかったし、それ以前に具体的にどう検査をして何が行われて体がどうなっていくのか、分からなかった。
独身ひとり暮らしの30代、仕事をしている人間が病に罹ったとき一体何が起きるのか、フツーに生活はできるのか。
ことさら悲劇的に修飾するニュースばかりで、情報不足に困った。

私は、全然悲しくなかった。病に気づいてしまっただけで、体はいたってフツーだったから。

そんな経験をしたこともあり、自分の事はさておき、今後乳ガンの疑いを抱いた人や診断されている人、「これから何が起こるのだろう」と不安な人達にとってネガティブな事以外もふくめて情報発信ができたら良いなと思った。

話はズレるが、私は見知らぬ土地で夜にとつぜん迷子になった事がある。
その日に出会ったろくでもない人間にメキシコの某地方に置き去りにされ、真っ暗闇の誰もいない寂れた土地を街の中心(と思われる方)に向かって歩いていた。
持っていたスマホはネットもろくに通じず地図機能も動かなかった。不確かな道を30分近く歩いていたと思う。真っ暗闇の道の遠くに、消えそうだけれども確かに灯る街灯が見えた時、心から救われたと感じた。

突然放り込まれた病の世界というのはまさに暗闇の見知らぬ土地であり、先駆者の存在は道無き道の指標的な灯りとして救いになるのではないか。

傲慢かもしれないけれど、私はそういう光になりたいと思った。太陽じゃなくていい、暗闇で迷う誰かを安心させる小さな灯火になりたい。

自分自身の記録や整理として、だけでなくて、病気になった人や不安でネットに情報を探しにきた人にとって少しでも一助になれたらいいな、と思っていて、そうではない人にとっても、こういうケースもあるのかと興味をもってもらえたら嬉しい。

そんな理由でこのnoteを始めた。

果たして目的が果たせているのか自己満足で終わっているのかはわからないけれど、面白いと言って読んでくれる友人や、スキを押してくれる人や、ありがたいことにサポートしてくださる人もいて、逆にめちゃくちゃ励まされた。本当にありがとうございます。

術後3ヵ月、体は別に元気なんだけど、薬のせいか気分の停滞がはげしくて、日にもよるけど頭の働きがびっくりするほどダメになった。思うように動けないゾンビのような気分。
ただ、そういう状態になることも含めてどこか客観的に楽しんでいる自分もいて、新しい発見があると「書きたいなぁ」と思うものの、何か考えると頭の中がちょっとしたパニックになってうまく文章がかけなくて、思考回路がショートした感じになり(ムーンライト伝説!)、それでずいぶん更新の間があいてしまった。別に誰かに強いられているわけでもないんだけれど。

まとまりのない文章はいつもながらだけれど、久々に書ける感じになってきたので、とりあえず雑にでも記しておこうと思って、いま。

ゆるく節操なく書いていこうと思う。
だから文末はこうしておこう。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?