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手術、そして第2形態の自分との対峙

手術前日の8/15、ついに入院する日がやって来た。
入院病棟は女性専用で、乳がんや子宮がんなどの患者が中心だ。
同じ日に入院したのは10人程だったが、ほとんどが40-50代。私が一番若かった。中にはすでに抗がん剤治療をしているらしい、脱毛用の帽子を装着した人もいる。

待機場所のソファに母と隣り合って座っていると、看護師はみな母の方が患者だと思って話しかけてくる。
母は「え〜、そんなに病人っぽいかしら…」と嫌そうな顔を隠さない。病人本人にそのリアクションを見せるデリカシーのなさに少し苛立つ。うちの母は天然なのだ。
わざわざ遠方から上京して付き添って来てくれた母には悪いけど、1人でぼーっとしていたいなと思う。

やはりここまでくると、現実感が増す。前日にはふいに涙が出たりした。でも、何が悲しいのか辛いのか分からない。
ーー実際のところ、悲しくも辛くもないからだ。
それは赤子が泣くのにも似た、原始的な感情の発露の涙に思えた。

いま沸き起こる感情は、強がりを抜きにして、気が滅入るとかネガティブなものではなかった。
健康だったときに想像していた「がん患者の悲しみ」とはハッキリと違う。
もちろん人によるのだろうけれど、思っていたより気楽で、絶望の淵にも立てず悲劇のヒロインにもなれずにヘラヘラしている。
胸を失う悲しみは不思議ともうない。手術への恐怖もそんなには感じない。

けれど、私には気持ちの奥底に眠る恐怖が一つだけあった。
「全身麻酔をかけられる瞬間」だ。
幼い頃、ちょっとした手術で全身麻酔を経験した。大人なら部分麻酔で済むような簡単な手術だった。
手術台に横たわり、透明なゴムマスクを口にかけられ、麻酔ガスを吸込んで意識を失う。
もちろん手術は無事成功して翌日には退院したのだが、何故かその記憶を思い出すと、妙に背筋が冷えるような恐怖が私の体を駆け上がる。

己の意思に反して気を失うという事。私が、私という自我を失うこと。
ーー古の哲学者・デカルト曰く、コギトエルゴスム。我思う、故に我あり。
また、哲学者・パスカル曰く、人間は考える葦である。ーー
思考や意志が失われる瞬間に私は私でなくなる。何よりもそれが怖い。
私は自分の感覚や考えや意思を何よりも大事に思っているのだということを、ここにきて強く自覚した。
だからこそ。
右胸失えども、我が魂・我が尊厳は失わず。
きっと私は術後の自分の姿も愛せるだろうと思った。

オリエンテーションを経て、患者は各々のベッドに入った。
私は枕元に、昨年メキシコの市場で買ったネズミを飾る事にした。

メキシコ→エルサルバドル→キューバへの一人旅の記憶。
思い出すだけでも中米の太陽のあたたかさが甦る。
コーヒーが飲みたいというだけの理由で、エルサルバドルまで行ってしまった。「世界一治安が悪い国だぞ」と上司には反対されたけど、今思えばあの時に行っておいて本当によかった。いつ何があるかわからない。後悔のないように生きたい。


手術の前日は、センチネルリンパ節シンチを行う。
これはリンパ節への転移を検査するための前準備で、リンパがどこにあるかを確認するために乳頭の下から注射を打つものだ。
鎖骨に「ミギ」とマジックで書かれる。右乳首に十字の印をつけられる。キラキラマーク✨のようなその十字は、右乳最後のキラメキか。
こっそり掌におさめて揉みごこちを記憶する。…が、すぐに忘れてしまった。(そのため手術まで何度もコソコソ胸を揉む女と化してしまった。特に感慨はない)
事前の説明書に「注射は強い痛みを伴う可能性あり」と書かれていたので歯を食いしばったが、実際は全く痛くなく拍子抜けした。
「痛みに強いんですねぇ」と技師たちには誉められた。

歯科受診の時間もあった。気道確保のホースを口内に入れるため事前に口腔内をチェックするのだ。
ついでに歯垢除去までしてもらったが、なぜかこのタイミングで奥歯の銀の詰め物が取れるというアクシデントが発生した。(すぐに接着してもらった)

22時消灯。
ソワソワして眠れないのでは、という心配は無用だった。普段なら明け方まで眠れないことが多いのに、驚きの快眠。
本当はセンチメンタルに浸り、月などを見つつ手術への感慨やらポエムやら和歌でも詠じたかったのに。

翌朝。
朝食を抜いて、その時を待つ。手術の予定開始時刻はAM11:15。
弾性ソックスを履き、手術に備える。
予定の2時間前に「前の手術が早く終わりそうだ」と看護師が準備をしにやってくる。
「ドキドキしちゃう」と落ち着かない母を前に、私はしっかり寝たにも関わらず眠くて仕方なく、早く手術が始まってくれれば眠れるのに…などとウトウトしていた。
手術室に向かう途中まで母が付き添った。扉の前で別れ際に握手する。
「楽しんでくるぜ〜!」と言うと、母は「もう!」と少し泣きそうな顔になった。

手術フロアは白くてTHE・清潔という感じ。
向かいの椅子に、同じく手術に向かうのであろう熟女が小さく座っている。
熟女が背をもたれる壁には、紙を切って作った手作りのキャラクターが貼られていて、キリッとした表情で「おうえんしているよ!」と叫んでいた。

上裸で頭から謎の芽が出ている生物。なんだこいつ。
その眼差しがやけに力強くて、妙に可笑しい。

医師・飛猿が慌ただしく通りかかる。昨日は眠れました?と頬笑む彼の表情は優しい。
「はい、ぐっすり!」という私の答えに一瞬戸惑った顔をして「…ならよかった」と苦笑した。よろしくお願いします、と頭を下げる。
綺麗に、ヴィーナスみたいに綺麗にしてください、そう伝えたかったけれど、飛猿はよろしくお願いします、と言うと足早に去ってしまった。

手術室に入り、手術台に座る。白い世界。部屋は寒いけれど台は温められていた。心拍数などを計測する機械が体につけられていく。足元側の壁には大きなモニターがあり、私の心電図と心拍数が写し出されている。78、79、それが早いのか遅いのか分からない。81、緊張していると思われたら恥ずかしいな、とゆっくり息を吐く。

ほどなくして看護師と麻酔科の医師たちに囲まれ、術前の儀式が始まった。
飛猿の姿はそこにない。意識が失われてからやってくるのか。
「〇〇さん、術式をお願いします」
「ミギ乳房ナントカカントカ術です」
「ミギ乳房ナントカカントカ術、ですね」
「麻酔科の先生、使用する麻酔をお願いします」
「全身麻酔です」
「全身麻酔、ですね」

ここで私が、ちょっと待ったーーー!!って叫んだら、中止されたりするかな?などとくだらないことを考えてるうちに麻酔用のマスクが口に取り付けられた。嗚呼、無情。
顔に当たる部分が浮き輪のように膨らんでいて優しいタッチ。
指示に従って深呼吸を繰り返していると、「ガス入ります」の声。同時に苦い空気が一気に入ってきて咳き込んだ。
すぐに強烈な立ちくらみの感覚が襲ってくる。
「あぁ…目が回ります」
そう口にして、クラクラする頭とぐるぐる回る景色に目を閉じる。
そうか、こうやって、意識を失うのか……。

・・・

再び目を開いたとき、すべては終わっていた。
私を覗きこむ看護師たち。口につけられた酸素マスク。膀胱にはカテーテルの感覚。気道確保のホースを入れていたせいか喉が痛い。
「見知らぬ、天井」だ……。
喉が乾いていた。そして空腹だった。
胸は麻酔が効いているのか痛みも痺れもない。何かを問われ「はい」と応えた。
そこで看護師が「リンパ節への転移、ありませんでしたよ」と声をかけてきた。本当に?幻聴じゃなくて?…よかった。
病室に戻ると母が待っていたので手をヒラヒラと振ってみせた。眠気は残るが、頭は案外明瞭だ。
とはいえ話しかけられて答えるのはしんどく、心配してジロジロと顔を見られるのが負担だった。

酸素マスクは2時間くらいで外された。その頃には感覚がじんわり戻っていて、痛みを10段階で表現しろと言われ、6…?と答える。
看護師は「歩行の訓練をしましょう」と言う。早い。早すぎる。もう歩くの?体を切ってるのに?
けれど足は歩き出したくてたまらない。飲みたい食べたい。謎のエネルギーに満ちている。
ゆっくりと立ち上がる。少しずつだが歩行を進めることに成功した。
思いのほか体が動くのに驚いた。
腕も固定するべきものと思っていたが、「できれば動かした方がいい」とのことから、恐る恐る曲げ伸ばししてみると案外動く事が分かった。
夕飯も箸を使って食べられる。
痛みはあれど、じっとしていれば忘れるほどだ。
私は負傷兵、私は負傷したプロレスラー…などと妄想してみると、大したことない痛みに思える。(神経も切っているから麻痺しているのだと後で聞いた)

脇の下あたりからは、傷から出る体液を排出するための管(ドレーン)が出ている。この体液がある程度減ったら退院できるらしい。個人差はあるが、だいたい10〜14日。鉄臭い妙な臭いがずっと鼻につく。


翌日、傷を覆っていたコルセットが外された。
着替えて術後のブラジャーを付けるように言われる。
…マジでペース早くない?現代医療パネェっすね。

そんな訳で、ついに私は第2形態となった我がボディを見る事になった。
劇的ビフォーアフター…
ご対面…

!!!

……何ということでしょう……

我が新たなる胸の第一印象は「砂かけばばあ by 水木しげる」だった。

コルセットで圧迫されていたこともあるが、つぶれてひしゃげた胸、弛みのせいかうつむく乳頭(赤黒くなっていた)がしょんぼりとした、けれども恨めしさを抱いた老婆の姿を彷彿とさせた。うっすら打撲のような跡も残っている。
胸は凸からー(平ら)になると思っていたが、実際は凹だった。
手術跡は透明な医療テープで覆われていて、血の滲む痛々しい切り傷がばっちり見える。
肌は麻痺状態で、触れてもぼんやりと遠くの方にしか感覚がない。だからこんなにも痛みを感じないんだな。

幻のようだ。

きっと私はがっかりするのだと思っていた。ショックで辛くて悲しい気持ちになるのだと思っていた。
けれど我が胸は、形は変われど我が胸であることに違いなく、がん細胞を含む乳腺それ以上のものを無くしてもおらず、だから何というのか、思いのほかフラットな気持ちで受け入れることができた。
なるほどこんな感じね、と。

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