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誰も読まない映画評 その1 「それでも恋するバルセロナ」

※「マダム・ウェブ」のレビューは本note最大のヒット数を記録してしまっているので(ありがとうございます)映画評のシリーズ化です。

なぜ今「それでも恋するバルセロナ」なのか?

バルセロナに関する情報を集めているうちに下記の素敵なnoteで紹介されていたので、そう言えばこの映画まだ観てなかったな、と思い出したのであった。

映画の紹介を見ている時に、あることに気づいた。「レベッカ・ホールが出演していること」である。なぜ今「レベッカ・ホール」なのか?それは彼女が偶然にも、週末観た映画に出演していたからである。
「ゴジラxコング 新たなる帝国」(日本公開は2024年4月26日)である。

レベッカ・ホール演じるビッキーとスカーレット・ヨハンソン演じるクリスティーナはバルセロナを旅する

ポスターに出てこないレベッカ・ホール

さて「それでも恋するバルセロナ」の原題は
"Vicky Cristina Barcelona"(ビッキー、クリスティーナ、バルセロナ)
である。タイトルの一番最初に出てくるキャラクターのビッキーを演じているのがレベッカ・ホールである。
それなのに、ポスターには彼女が出ていない。ポスターには、クリスティーナ役のスカーレット・ジョハンソン(スカヨハ)は出てくるが、その隣にいる女性はレベッカ・ホールではない。タイトルにキャラクター名(マリア)すら含まれていないペネロペ・クルスである。

「映画のタイトルに出てくるキャラクター役なのにポスターに出てこない」ということがあり得るのか?
「ブラック・ウィドウ」の映画なのに、スカヨハがポスターに出てこない。
「ゴジラ」の映画なのに、ゴジラがポスターに出てこない。
そんなことはあり得ない!いったい何が起きているのだろうか?

「真面目」なレベッカ・ホール

レベッカ・ホール演じるビッキーの婚約者もバルセロナを訪れる。

この映画ではレベッカ・ホールは「婚約者もいる真面目な」役であり、その相方のクリスティーナは「奔放」な性格の女性である。このように対照的な性格の女性を登場させるというのはコメディの定番であるが、その両方を魅了するのが、常に何を考えているのか分からない男ホアン(ハピエル・バルデム)というのも定番である。

ビッキーの「退屈な」婚約者が友達と仕事の話ばかりしている間、彼女は上の空である。旦那がその友達と「日本製の高解像度テレビ」の話題で盛り上がっている時、彼女はホアンのことを想い出している、らしい。
「そんなに日本製のテレビが退屈なのか?自分だって怪獣の研究員やってるくせに!」という憤りを感じるが、それは「ゴジラ対キングコング」の話であった。

(ネタバレ)真面目な人は損をする

ペネローペ・クルス演じるマリアの登場で三人の関係はさらに複雑化する。

ここからネタバレだが、なぜ彼女がポスターに登場しないのかは明らかで、ポスターのペネローペ・クルスがレベッカ・ホールだったらその時点で映画で何が起こるか分かってしまうのだ。
美味しいところはペネローペ・クルスに持っていかれ、もちろん「自由奔放」なスカヨハは映画の間中ずーっと楽しんで、婚約者と帰路につくレベッカ・ホールは結局、映画の間中ずーっと悶々としているというオチである。
つまり真面目な人間が損をする、という話なのである。
ほとんどが「真面目な」映画のオーディエンスも、オチを見て「自分はビッキー」であることに悶々として帰路につくのかもしれない。
悶々とはしているが、そもそもアッチは映画の話であるし、バルセロナでいきなりホアンにオビエドに連れて行かれる、なんてことはあり得ないし、と
そこに救いを感じるからこそのコメディ映画なのである。

「それでも恋するバルセロナ」は2009年に日本公開されているがそれから15年あまり経って、自由奔放なクリスティーナは世界を救う暗殺者ブラック・ウィドウとなり、前述の通りレベッカ・ホールは怪獣の研究員というまさに「自由奔放vs真面目」な人生を送っているのである。
やはり誰の人生も生きるに値するのであろう。(次回につづく)

補足)日本版のポスターにはちゃんとレベッカ・ホールさんが出てました。

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