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「ノミオとジュリエット」インタビュー抄訳第3弾

3回目はとうとう、エルトン・ジョンがサウンド・トラックを担当した名作「ライオン・キング」の話から、11年かけてつくられたこの"Gnomeo & Juliet"の裏話についてまで深くツッコミます。


DF デビッド・ファーニッシュ (プロデューサ)
KA ケリー・アスベリー (監督)
EB エミリー・ブラント (ノームのジュリエット役)
EJ エルトン・ジョン (作曲兼プロデューサ)
JM ジェームス・マカヴォイ (ノームのノミオ役)
SS スティーブ・ハミルトンショー (プロデューサ)
BB ベイカー・ブラッドウォース (プロデューサ)

男性記者 エルトンさん、「ライオン・キング」での(作曲の)経験を踏まえてこの映画をつくられたのでしょうか。「ノミオとジュリエット」をつくられて、どんなことを学ばれましたか。そしてアニメーションをどのように評価されていますか。

EJ そうだね、「ライオン・キング」から学んだね。(映画のプロデューサーの)ティム・ライスのおかげで1993年に参加したんだ。作曲家としてのキャリアの中で常に共同作業をしてきたけど、「ライオン・キング」をやっている間中、みんなでアイデアを出しながらずーっと共同作業をしたことが本当に良い経験だったんだ。今言ったように曲を書くパートナーはずーっといたけど、常に大事なのはエゴを捨てることだ。特に何を書いたとしてもうまくいかないとしたら、例えばビリー・エリオットみたいに。

 ビリー・エリオットと一緒に素晴らしい3曲を書いた。でもそれを使ってしまったら、映画は4時間と2分にもなってしまう。だから曲は使わなかった。だから常にこう言える用意がなければならない。「この曲をつくるために何だってするけど、もし使いたくないんであれば、それはそれで構わないよ」と。そうでなければならない、全体としてのチームの言うことを聞かなければならないんだ。この11年間の間に何度もミーティングをしてきたし、映画はその度に違ったコースをたどってきた。チームプレーヤでなければならない。いい時も悪いときも手をつながなければならない。重要なメンバーの一員として、チームみんなのために、そこで役割を果たさなければならない。

 自分のキャリアの中で常にチームのために作曲しようとしてきた。44年に渡る曲作りのパートナーがいてくれたのは幸運なことだ。だからクリエイティブな楽しい経験を分かち合うっていう意味では映画も同じなんだ。エゴは禁物だよ。「この曲が使われないなら映画をやめる」なんてことはなかったね。忍耐強く、そして物事を良く見ることだ。どうやって物事を良くしていくか、全体として良くなるために役割を果たすんだ、ただ自分という一部のためだけでなくね。

男性記者 エミリーとジェイムスへ質問なんですけど、2つあります。まず普通はどちらか一人だけで台詞を録音して、片方は部屋にいませんよね?映画の前に打ち合わせしましたか?一緒にリハーサルしたりとか?

EB みんな私たちを離れ離れにしようとしたわよ。(笑)

JM 残念だけど彼女は一緒に仕事しづらい相手でね。(笑)

EB ジェイムスは本当に気分屋だから、一緒の部屋にいることがないように取り計られたってわけ。

JM でもそれが僕の持ち味なんだよ。

男性記者 では二人は会ったことがなかったんでしょうか?

EB 彼と会ったことは仕事以外で2回あります。でも一緒に仕事したことはなくって、二人がこの映画に出ることになった時、まあ一緒にやるのもいいかなって考えたのよ。同じ部屋で、台詞を言い合って、それをさらにいいものにしていければグレートって思ったりしたわ。でも結局別々に切磋琢磨することになったけど。

男性記者 もう一方の質問なんですが、エルトンさんへ。映画で使われた曲で、もう何年も演ってるのに、この曲が大好きって言えるものはあります?

EJ そうだね、自分にとって映画の中でおもしろかったシーンの一つは、とても重要だと思うんだけど、オシッコをするのは英国人として育てられた場合、いいことだよね。スティーブ・マーシャントが草むらのノームを演じている時の歌も同じことだと思うんだ。突然僕がグラムなノームとして登場するだろう。映画の中でノームのセクシュアリティが表現されてるってとこかな。どうも。

DF ポスターからは削除したけどね。(笑)

EJ そこで彼が歌うのはちょっとばかり瑞々しいよね。それを見て、はっとしたんだ。1970年からショーのたびに歌ってきた歌の良い思い出が蘇ってきたんだ。だからその瞬間がとてもおかしくて大好きだよ。

男性記者 この質問はプロデューサ兼監督のケリーに対してです。非常に素晴らしいキャストですよね。マーシャント、ブラント、マカヴォイ、ウォルターズにマイケル・ケインまで。それについて何かありますか。それともう一つ、どうして(声の出演をした)オジー・オズボーンが劇中で歌っていないのかについて、私はオジーのファンなもので。

KA キャストは本当に僕らのもので、映画がうまくいくように、キャラクターにあったものになるようにキャスティングしたわけで。プロセスの一つとしてキャスティング・ディレクターがいくつかの異なる台詞を持ってきてくれて、でもどれを誰が演じているのかは教えてくれない。それを聞いて、キャラクターの絵を眺めて、どんな声がふさわしいか決めていったって感じかな。そうやってすべてのキャラクターを決めていったってわけさ。オジー・オズボーンとドリー・パートンだけは例外的で、ある時点で僕らはこの小さい、コンクリートの、かわいい鹿の声をどうしようかってことになって。このキャラクターとして最もあり得ないのは誰だろうって考えたのさ。

デビッドが「オジー・オズボーンは?」って言うもんだから、それ以上思い浮かばなくなってね。幸運にもオジーは友人で彼もやりたいって言ってくれて。どうして彼が歌わなかったかって言うと、彼はちょっとだけ子守歌を歌ってるんだけど、それだけだったね。どうしてだろう。なんでオジーは歌わなかったんだろうね。

EJ 誰もお願いしなかったからだよ。(笑)

女性記者 エルトンさん、あなたはアーティストとして可能なことはすべてやりつくして、他のあらゆる芸術的な分野でも成功を収めています。まだあなたには目標としていること、成し遂げたいことはあるのでしょうか。今はどんなステージを目指しているんでしょうか。

EJ いつまでたってもやりたいことはあるよ。まあ、バレリーナ以外だね。(笑)

JM でもやりたければやってみるべきだよ。ここはアメリカなんだからさ。(笑)

EJ 自分の伝記的な映画をつくりたいなと思っているんだ。実際にやろうと考えてるよ。「Billy Elliot」を書いたリーホールによる素晴らしい脚本さえあるよ。どう考えても普通の映画にはならないね。僕の人生はクレイジーなもんだし。シュールレアルに自分の人生を見つめることは重要だと思ってね。本当にやりたいと思うよ。映画ビジネスはまったくすごいよ。1993年に(ディズニーの)ティム・ライスから一本の電話がかかってきて、「ライオン・キング」をやらないかって言うんだ。あおの当時、レコードをつくって、ツアーをやって、ミュージックビデオを撮影するぐらいしかしてなかったのにね。

 その一本の電話が僕にチャンスを与えてくれたんだ。急に舞台のためのミュージカルの曲を書くことになって、映画音楽をつくって、いろんなことができるようになったんだ。曲がり角の向こうに何があるか分からないもんだよ。そこが好きなんだけど。プランを立てることなんてできないよ。自分のキャリアは計画したものじゃないんだ。この映画も3年間ずーっとつきっきりで製作にかかってるんだ。偶然だよ。僕らクリエイティブな3人がこうやって座ってパフォーマンスしているのはね。どんな役柄を与えられるか決して分からないからいいんだよ。どんなショーに出られるのか分からない。そして一つのショーにおける一つの役柄や一つのプロジェクトが人生を変えることだってあるんだから。

 僕は人生についてそんな風に考えてるんだ。一生懸命働いていい作品をつくる過程を楽しむってこと以上のことは望んでないよ。自分の生活にあるすべてのことを楽しんでるよ。でも驚きの要素が映画ビジネスの中にあるからこそ僕らは好きでいられるわけで。ある日急に電話がかかってきて、あるいは何をしていいるにせよ、次の日に人生で一度きりのチャンスが訪れるんだ。たった電話一本だけど、その電話はそうそうかかってくるもんじゃない。でも電話がかかってきたとき、ファンタスティックなことが始まるんだよ。そう思わない?

EB ええ、もちろんよ。クリエイティブなことをしてるとき、あなたは戦略的にキャリアを計画するべきじゃないし、やろうとしてもできないわ。そこがおもしろいのよ。未知の要素は大好き。驚きの要素もね。そこから得られる閃きは本当に大きいし、自然発生的に仕事が生まれるのがいいのよ。抵抗もできないし、戦略家になることもできない。あそこに行けるからこの仕事を選ぶっていう風にはいかないものよ。何だかよく分からなくても、誇れるような仕事をしてそれを楽しむことね。その選択をすること以外はできないし、選択したらそこでオシマイ。その先なんて誰が分かるかしら?そこがいいんだわ。

JM いやー、まったく同感だよ。言ったこと全部にね。でもあえて付け加えると、僕は空いてるんだよね。ピアノも弾けますよ。今あなたをからかってるこの男が31歳だってことをご存知でないら、僕は独身です。どうもありがとう。いやー、良かったね。(笑)

EJ 例をあげるとね、1990年に誰かが「あなたは1993年にライオンキングのキャラクターである野生のブタの歌を書いてるよ」って言ったとしたら、「何をばかなことを」って思っただろうね。ティム・ライスがくれた歌詞「僕が若い野生のブタだった時」を見たとしたら、「馬鹿げてる」って思っただろうね。でも実際に起こったんだよ。1990年に誰かが「あなたはガーデン・ノームの映画を作りますよ」って言ったとしたら、「そんなのあるわけない」って思ったよ。クリエイティブでいることの喜びはまさにここにあるんだ。まったく驚くべき方向に物事が起こって、普通だったら考えもしないようなことをしているってわけさ。

女性記者 プレス資料では特に明言されていませんが、初めて映画の製作総指揮をなさったんでしょうか。

EJ その通り、デビッドと一緒にロケット・ピクチャーズっていう映画制作会社をつくって、これが3作目だけど、製作総指揮になったのは初めてさ。

女性記者 質問なんですが、個人的に映画プロデューサの仕事についてどう感じられていますか。

EJ まったく何も、何もしないよ。製作総指揮って肩書きだけさ。そしてツアーに出かけて、帰ってきたら「さあ、やろうか」って言う。それを製作総指揮って言うんだ。真実だよ。

DF ちょっと横入りしちゃうけど、11年もかかった映画だったから、チャレンジだった。その11年間の間にディズニーの体制が何回も変わってね。体制は変化しても、エルトンの継続性には変化はなかったけど。映画製作を進めていくプロセス、前準備のプロセス、開始から終了までのプロセス、スタジオの外部から影響力のある人が時間を見計らったところでやってきて、すべてを元通りに行くようにしてくれた。エルトンはその時、中心となる人物だったんだ。

EJ ジョークは置いといて、2回映画がディズニーから外されそうになった時があったんだ。スタジオの偉い人に電話して、「もしもしエルトンですけど」って言わなきゃならなかった。ミーティングもした。何とかここまでやってきた。そして今ではこの映画を失うことはなくなったんだ。チームがスタジオとコミュニケーションがとれなくなった時に、製作総指揮としての自分の仕事はチームをそれでも牽引していこうとすることだったよ。(記者会見の翻訳終わり)

いかがでしたか。監督のケリー・アスベリー氏は残念ながら昨年(2020年)亡くなられてしまいました。彼のご冥福をお祈りすると同時に、この作品は隠れた名作としていつまでも生きながらえて行くことを祈っています。

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