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Dr Scott Ross: どうやって映画産業で1億円を稼ぐか?(その5)

This is a Japanese translation of Dr. Scott Ross's blog. Please check out the original article to verify the translation. (この記事はスコット・ロス氏の2012年に書かれたブログの翻訳です。翻訳の正確さは保証致しかねますが、日本人にとっても興味深い内容で非常に面白い読み物だと思います。)

(その4から続く) 何年もVFX会社を経営している間、世界でも著名な映画監督の何人かと会う機会があった。そういった重鎮達のほとんどは何年も先までプロジェクトのスケジュールが埋まっていることを学んだ。さらに「千羽鶴」のように、プロダクション会社によって承認されている脚本が準備できていないプロジェクトは稀であることも。私はビジネスマンとしてはあまり出来が良くなかったのだ。結局のところ、何年か経つうちに、私は彼らとの取引のほとんどを止めなくてはならなくなった。彼らのうちの多くは「スコット、これを私にやらせてくれれば、その後で私がきみの会社の面倒を見るよ」と言っていた。彼ら監督のデスクまで「千羽鶴」を届けるまでに、必要な手順を踏まなければならないことも私は理解した。

 私は脚本を配った。20代そこそこの読者たちの机の上に脚本は準備された。彼らは黒いスーツを着て、Gauloise(訳注: ゴロワーズ、フランスで人気の高いタバコ)を吸い、深夜にタバコをくゆらしながら「まるでデビッドフィンチャーの映画のような」暗く陰鬱なフィルムノワールを手にしていた。この読者が広島で50年以上前に何が起きたか興味を抱くはずだと思いながら、しかし私は「監督のプロデューサ」という次の段階まで脚本を取り上げてもらえるとは思えなかった。

 それから2,3年のうち、脚本を送り続けた。スティーブン・スピルバーグ、オリバー・ストーン、リドリー・スコット、ピーター・ウィア、ジョージ・クルーニー、クリント・イーストウッド、そしてメル・ギブソンまで。興味深いことに、全員から返事があった。オリバーと私は何回か話をした。彼にとっての問題は、歴史上実際にあった話を書いたものの、メインキャラクターがフィクションであることだった。彼にはJFKを思い出してもらった。スピルバーグは、彼は脚本は好きだと言ったがすでに日本についての映画の製作に入っていると言った。「さゆり(MEMOIRS OF A GEISHA)」である。リドリー(・スコット)の会社であるRSAはその製作総指揮にあたる人物をDD(デジタル・ドメイン、ロス氏の会社)に送りこんできたが、結局は映画を製作しないことに決めた。

 私はピーター・ウィアーを家に招いて、プロジェクトについて説明した。ピーターはちょうど「マスター・アンド・コマンダー」(原題: Master and Commander: The Far Side of the World)の製作を終了したところであり、その映画での製作経験から大規模な視覚効果を扱う映画はもう監督したくないと言った。イーストウッドのプロデューサであるロブ・ローレンツと私は「千羽鶴」について話を始めた。ロブは脚本は褒めてくれたものの、クリント(・イーストウッド)も日本に関する映画「硫黄島からの手紙」を製作していると言った。ロブは脚本を、ワーナーの一角にあるイーストウッドのMalpaso Productionsの隣にある(ジョージ・)クルーニーの会社に送ってみたらと言ってくれた。クルーニーの担当者は、脚本はとても気に入ったけど、ジョージは第2次世界大戦の映画をTHE GOOD GERMAN(邦題: 「さらば、ベルリン」)での経験を元にしてつくっているところなんだと説明してくれた。

 脚本について私が受け取った感想は非常に好意的なものだった。特に女性から支持された。それを踏まえて、女性監督を探すことにした。残念ながら選択肢は少なかった。その当時、スタジオや出資者が150億かかる戦争の映画をまかせようと決断できる女性の監督はほとんどいなかったのである。「フリーダ(FRIEDA)」の監督であるJulie Taymorに恋いこがれた私は、彼女ならヒロインであるケイコを理解できるに違いないと思った。Julieと30分ほど電話で話をしてみた。彼女は脚本を読んではみたもの、ヒロインが弱いと感じたと言った。ケイコは1945年の日本においては、現代のワンダーウーマンのような存在なんだと説明してみた。彼女は納得しなかった。

 ある時点で、脚本家と私の調査によって、最初に広島の惨状を目撃した白人はアーストラリアのレポーターであることが分った。彼は広島の残骸を目の当たりにしてシドニーへ電信を送ったのである。彼は日本の権力機関によってただちに捕まり監視下に置かれたのである。私たちは始まりの部分を変えて、このオーストラリア人のレポーターの目から物語を語ることも出来るんじゃないかと考えた。メル・ギブソンに連絡をとって見た。

メル・ギブソンのパートナーであるBruce Daviesは「千羽鶴」を買ってくれようとした。メルの製作会社のエグザクティブはこの新しいヒネリを加えた構成にかなり興味を持った。Bruceとメル・ギブソンはパラマウントの製作主任であるMichelle Manningとのミーティングの場を設けてくれた。Bruceと私がMichelleに会った時、ロブ・レガートがつくってくれた「蝶々夫人」の音楽とともに流れる広島の映像を収録したDVDを見せた。ミーティングは比較的短い時間で終わった。Michelle Manningは脚本を相当気に入ってくれたものの、エンディングが悲しすぎると感じた。彼女は全ての人が亡くなったとして、ヒーローもヒロインも死ななければならないのかしら、と思った。私はそれこそがこの脚本の特色なんだと説明しようとした。

「ハッピーなエンディングじゃだめかしら。」
「えっと、9万人が爆弾でなくなったんだけどね...。」
「ケイコとニックが生き残るわけにはいかないの。」
「タイタニックだったらね...。」
「タイタニックみたいに、どちらか一方でも生き続けるべきだわ。」
「じゃ、ロミオとジュリエットはどうだろう。あの話は何世紀にも渡って語り継がれているよ、世界中でね...。」

結局パラマウントがこの映画を製作することはなかった。メル・ギブソンもまた問題を抱えていた。私たちはまた別の手を探すことにした。私は鶴を折り続けるしかなかった。(続く)

(※)タイトル画像は映画「さゆり」(原題: MEMOIRS OF A GEISHA)の1シーンで、本文とは無関係です。

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