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本を飲む

 冬の時期っていうのは風邪が流行り出します。
マスク着用がコロナ禍を経て当たり前になった社会。そうなるとあまりマスクそのものを意識することが少なくなってきたなぁとも思うけど。

 「顔を隠す」には、照れ隠し、なんて意味がある。今後マスクが必要とされない社会になっても、顔を隠す行為はなくならなさそうな。。

 「飲む」を使う慣用句は、「息を」とか「恨みを」とか「固唾を」とかが有名なところ。
 では「本を飲む」って知ってました?冬になると毎年のようにこのことを思い出します。
 知らなかった方に届けたい、今回のお話し。

 
 確か小学生中学年から高学年の頃。クラスで流行ったこともあって、自分も当然のようにインフルエンザにかかっていた。
 当時の家は2階建てで、その時は母親が仕事の休みを取ってくれた。(これが不幸中の幸いに繋がります。。)
 体調が芳しくはないといいつつも、当時から本好きだった自分。学校が休みになった嬉しさもあり、本読みにふけっていた。
 読んでいた本は漫画よりも大きなサイズで、小説か何かだったはず。態勢は床にあぐらをかいて。
 そんな中、「本を飲む」時はふいに訪れます。

 インフルエンザがもたらす気怠さもあったのでしょうか。単純に手の疲れもあったのでしょうか。その時の理由を覚えてはいませんが、読んでいた本を落としてしまいます。
 床に座って読んでいたので、本の位置は肩の下辺りにあったと思われます。
 「本を落とす」という何気ない行為・動作。
 しかしその時の私は、文字通り「本を飲んだ」と勘違いしてしまったのです。

 「本を飲んだ」と思い込む。
 喉に確かな違和感がある。例えれば、大きめのご飯が喉につっかえている。まんまその感じです。
 ご飯が喉につっかえるということは自分が意図して引き起こしたものです。しかし、意図せず突然本を飲むという行為は急に引き起こったもので、理解が追いつかないという状況に陥ります。
 当然(?)ですが、息が出来ないと思い込みます。そしてパニックになります。

 その飲んだ瞬間には、「落としたはずの本を探す」という余裕はすでにありません。この飲んだ本をどうすればいいんだという焦り、襲りくる死への恐怖。喉に本が詰まっていると勘違いしているため、息が出来ていません。なんとか本を吐き出そうとしますが、実際には本は詰まっていないので、本は出てきません。笑

 パニックでわぁぁ大声をあげながらとかろうじて、1階に母親がいることを思い出します。この時の自分を褒めたいです。
 そしてダッシュで階段を駆け下ります。死がかかっているため、物凄く早く降りたと思われます。オリンピックがあったら入賞はしてます。
 そして母親にパニックで半泣きで、「本を飲んだ」と伝えます。この時はまだ喉に違和感があります。母親に「何も飲んでないよ」と伝えられるも、それを信じることが出来ません。死ぬと本気で思っていますからね。
 しかし話せてはいるので、本が喉につまっていないことは明らかである。一方でそれに自分一人では気付ける余裕もない。

 そして母親と飲み込んでしまったと思われる本を2階に確認しに行きます。この時まだパニック状態にあり、しっかりとした呼吸は出来ていません。
 2階に上がると、飲み込んだ(はずの)本が床にあります。当たり前です。
 その本を見て安心できると思いますか?普通の状況であれば、安心できるはずです。しかしそれを見て尚、「なんで飲んだのに、床にあるの!?」、「まだ喉に違和感あるんだけど?!」という感じで、逆にまたプチパニックです。

 何度か喉の確認と、母親に状況説明をされ、ようやく落ち着きます。ほぼパニック状態であったため、体感的にはかなりの時間がかかった。
 本を飲んだと思い込んでから、それが勘違いだと分かるまでは5分とない時間だったはず。そしてやっとのことで「本を飲んだ」というのは、自分の勘違いであったと理解出来ます。おめでとう!

 しかし、本を飲み、息がつまり、一人で解決せねばならない。この数十秒は本当に死を覚悟しました。あの時もし、家に1人だったら。。。呼吸もままならず、パニックで確実にぶったおれていたでしょう。

 今はもちろん、これが起こった数日後に振り返っても、その時のことを理解は出来ません。幼いとは言えない年齢だったにも関わらず、なぜそう思いこんでしまったのか。母親がいるというタイミング。ふと思い出しても怖いな、そしてラッキーだったなと。

 それから、熱によるお子さんの衝動的な行動をニュースで見かけます。飛び降りてしまった子と自分の差は本当になかったのだなと。それを見ては、「俺もそうだった」と先輩面をしてはその子の無事をひっそりと祈っています。
 このような一種の幻覚的なものは、
・服用した薬
・お子さんの体調
・それらの組み合わせ
・それ以外の影響
など様々な要素があり、何か1つとは断定は出来ないみたいですね。

 自分の場合でも、
・読書をしていた
・その時の体勢
・もちろん発熱していた
・薬を飲んでいた
・本を落とした
 直接的には本を落とすという行為が引き金になっているように思います。しかしふとした行為でパニックになってしまうように、何でどうなるかは本当に分からないものですね。。

 人の考える力は、予期や予想、覚えるなどもの凄いです。それでこそ人が発展してきたと思います。しかしそれ派あくまで、精神やら肉体が健康なときに初めてなせる技なんですよね。。健康まじ感謝。

 ここまで読んで頂きありがとうございます。
 これが私の「本を飲む」、話し。
 皆様の大切な方が本を飲むことのないようお祈りしています。もし本を飲んでしまったとしても、これを思い出して、その方に寄り添って頂けると幸いです。
 本は読むに限りますな。

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