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自死された方の想い

これは…自分でも忘れようとしていた後悔の実話です。私が中学生の時、小さな部落という感じの村から市へ引っ越しました。

当時人間不信だった私は、馴染もうとせず愛想が苦手で笑えない子でしたが、唯一優しく話しかけてくれたのは明るくて人懐こい女の子でした。

彼女は出掛ける時には親子3人で手を繋いで歩くほど家族仲がよく、両親が大好き、学校も大好き、友達も大好き、大きな声でよく笑う一人っ子で…何から何まで私とは正反対でした。

ただひとつ共通点は、父親が電器店を営んでいたことでした。ところが中学3年のある日、彼女のお父さんが借金を苦に自死されてしまいました…。

彼女の悲しみようは言葉にはし難く、今でも申し訳ない気持ちがあふれてきますが…実は、私のことを親友と言ってくれていたその彼女を、私は裏切るような行動をしてしまいました。

一人で初めて、たぶんお通夜が行われていた彼女の家へ行った時「あとで、隣の部屋で眠っている父の顔を見ていってあげてね」と言われたのに、私にはそれが出来なかったのです。

部屋にいるうちに、どんどんとんでもなく重い何かに押しつぶされるような感じがして、身体が震えて冷や汗が背中を伝い…いたたまれなくなって、逃げるように帰ってしまったのです。

その後、彼女とお母さんは、お母さんのご実家のある北海道へ引っ越して、それっきりになりました。

あの時はまだ、自分に覆いかぶさってきたそのとんでもなく重い何かがいったい何だったのかわからなかったのですが、今ならわかる気がします。

(これを思い出したのも実は「最近、自死された方のご依頼が多いのは何故でしょうか?」と問いをたてたからなのか!…と、ハッとしました。)

それは、この世や自分の人生からの逃避を願い、無になってもう何も感じなくなる予定だったのに、死してなお、自分が存在し続ける驚き、自分の死で愛する家族を悲しませていることへの哀しみと後悔、その大切な家族へもう何もできないし伝えられないという絶望、誰一人にも気づいてもらえない孤独…等だったのだろうと思います。

でも、亡くなってからそれらを認識し、絶望の淵にあって成仏できないでいても、葬儀や法要を順に経ていくことで、そして、遺した家族や大切な人々が自分の死を乗り越えて強く生きてくれることで、少しずつ癒されて、軽くなっていけるようです。

私はセッションを重ねるごとに、ご遺族の生き方や在り方が、彼らの重い波動を変化させられることを知りました。怒りや哀しみや絶望の波動から、自他を受容し、感謝や慈しみや愛の波動へと変容するのはspiritだけでは難しく、生きている私達の在り方や心の持ちようがとても大切なのです。

きっと、それらをお伝えできるような自分に精進するために、あの時、あの体験をしたのだろうと思います。

いつからでも私達は変わっていけますし、spiritも共に変容していけます。

自死に限らず、未練や後悔がない死はないように思います。でも、だからこそ、私達の生き方と在り方が故人をも癒し幸せにするなら、空を見上げ、微笑んで、彼らと共に在ることを意識して生きていきたいと思うのです。

北海道へ発ったかつての友と、亡きお父さまへ感謝と祈りを捧げたいと思います。合掌

見えない存在と共に生きる

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