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人権と戦争(ウクライナを思う)


ウクライナ侵攻のニュースが途切れずに流れてくる。

主権国家であるウクライナに有無を言わせずに暴力を働いているロシアの悪は明白だ。

その上で、ロシアは領土拡張の野心ではなく、むしろ自らの国土を守るための恐怖心からこの行動に出ているという事実についても注意すべきだ。

結果として起きている著しい人権侵害。

人権とはそもそも---?

以前の記事で自己主張について考えた時自然の流れで人権についても考えた。

私にとって最優先事は自分の生命の保証―――最低限の食糧と安全の確保―――である。

今回の戦争について(私のとても限られた知識のみを基にして、ではあるが)考えてみた。

侵攻前にロシアがNATOにウクライナの加入を認めないようにと働きかけていた時、NATOはどうしてあんなにべもない拒絶をしたのだろう。

万が一のことを考え、ウクライナの人達の安全のために、もっとある意味器用な、妥協した態度は取れなかったのか。NATOはウクライナとロシアの人達の命のこと真剣に考えていたのだろうか。

戦争となってしまった今はウクライナでは若い男性は国を守る義務があるので出国できないという。

でもウクライナにも愛国心はあるけれど、私のように死にたくない、または家族その他の事情があって何としてでも今は生きなくてはならないという若い男性もたくさんいると思うのだ。

彼らの人権は?

今支配的な空気は自国の尊厳を守るためには全てを投げ出すことはやむを得ないというものだろう。

要するに今ウクライナで一番大切なことは人命ではなくて国家の独立。

一寸待って下さい。被害をこれ以上拡げないために悔しいけれどここは取り敢えず妥協して、と思っている人たちはいると思うが、彼らも今の国の方針に従わなくてはならない。

外から見ていてここに違和感を感じる。

デモに参加していた在日ウクライナ人が言っていた。「ロシアは私たちをせん滅しようとしている。」

仮にロシアがウクライナを完全に征服したとしても、本当に「せん滅」までやるだろうか。
例えロシアのいう事を聞かなくてはならなくなっても、何かと差別が起きても、現在の状態―――家を焼かれ、家族はバラバラになり、青年たちは明日の命も知れない、という状態よりよいのではないのか。

ウクライナはロシアに侵攻されたことにより直接の人権侵害を受け、非常事態になったことによって自国の政府と世論によっても人権を奪われている。

非常事態では価値観の多様性はもはや許されないという事か。


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