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「映画 えんとつ町のプペル」アカデミー賞受賞。そして思い出す、西野さんとの出会い。

「映画 えんとつ町のプペル」がアカデミー賞「優秀アニメーション作品賞」を受賞されました。

おめでとうございます!!

西野さんの描く300年続くエンタメはまだまだ始まったばかりなんだと思いますが、様々な仕掛け、ゴールを見据えて賢く動くさま、単純に、

いい映画だから受賞、おめでとう!

という言葉でも片付けられないというか、むしろ「おめでとうございます」の言葉も正しくないのではないか、この血と汗と涙etc.が混じり混じって、気が遠くなるほど長い期間、努力を経て得たこの瞬間に見合った新しい祝福の言葉を、誰か考えてください!w


巷では、西野さんのオンラインサロン、クラウドファンディング、チケット販売方法などに対して、宗教だ!マルチだ!!アム○ェイだ!!!うさんくさい!!!!
あんな映画は観に行くどころかむしろ毛嫌いしてやるぜ!!!!!
みたいな方が一定数いらっしゃるようです。

そもそもまず「宗教だ!」の言葉がわたしはカチンとくるんですよ。
「宗教」という言葉をまるでおぞましいものかのように使っている。
ものすごく世界レベルで失礼なんですよね、これ。

「宗教」というものに支えられ、救われ、寄り添い生きている人が、
この世界にどれだけいるか知っていますか?
そんなわたしも、宗教色バリッバリな地域、スペインのセビリアに住んでいます。

もう観てこれ。

コッテコテのアーメン環境で大太鼓を叩いてるのがわたしです。
そしてこれを6年間続けたわけですが、無宗教です。
でもなぜ6年も続けられたかというと、音楽家としてこの場で演奏し続けることに意義を感じていたからです。
3歩歩けば教会に当たるこの街に住み、人と宗教の在り方をみていて、
この町の人々の優しさや素直さ、振る舞いは決してその人の人格だけでは語れない、いつもそばにカトリックという「宗教」があるからだと感じているからです。

この話は語れば色々長くなる&面白ネタもあるのでまた別で...

つまり、「宗教」という言葉をネガティブなイメージで使う人にわたしは腹が立つということです。世界の人々の暮らしを、もっと知った方がいい。


こういう批判、叩かれ方、わたしは西野さんと出会ったあのきっかけを思い出すんです。



2015年、オリンピックエンブレムで世の中が悪い意味でわぁーーーってなったあの時です。

当時佐野氏のエンブレムが物議を醸し、ツイッター上などで自作のエンブレムを作って「こんなの作ってみた、どうかな?」とお披露目する人がたくさん出てきました。
佐野氏のエンブレムについては色々と厳しい意見が飛び交う中、
作ってみたよーっていうみなさんは佐野さんをどうこう...というよりは、
もっといいもの作れそうな気がするから楽しみながら作ってみよう!というノリだったかと思います。

そんな作品を数点Twitterで見ていたわたしは、あーおもしろそう、自分だったらどんなのにするだろうか。。。とわくわくしながら、扇をモチーフにしたエンブレムをデザインし、みんなと同じノリでツイートしました。

すると、それがバズりました。

なんと日本テレビの「真相報道バンキシャ!」さんがセビリアまで取材に来てくださり(確かご連絡をいただいて2日も経たずに飛んでいらっしゃいました!😂)テレビにかんかん自身も登場してしまったりと、とにかくドッカーンとわりと派手にあちこちの番組で紹介していただきました。お恥ずかしい限りですが!

そのとき、なんと日本屈指の有名グラフィックデザイナーの皆様から一斉に叩かれたのです。
その時の様子がこちら。



正直ショックじゃなくて…衝撃でした。
この日本の一流デザイナー、アートディレクターの中に、わたし自身も「かっこいいな」と思っていた作品を作る方もいらっしゃったからです。

ショックじゃない、衝撃。

わかりますか...?

わたしは生まれてから今まで、自分の作品を「汚い」と言われたことはなかったです。
強いていうなら美大受験予備校時代、めっちゃ受験作品として映えないくすんだピンクを使った時に、予備校のデザイン科のトップの先生から、
「かんちゃん、ちょっとこのピンクどうなのよ!!」と言われた時ぐらいですw

日本の一流デザイナーに「汚い」と言われたという衝撃と、
褒めてくださる群衆、メディア。

この狭間でハゲ散らかしたことは間違いない。😂

そして西野さんはこの一連を多分見ていらっしゃったし、
西野さん自身も蝶のエンブレムをデザイン、公開しそれも話題に。
ついには西野さん自身が、

「負けエンブレム展」というコンテストを開催したのです!
「負け」という言葉に色々含まれるニュアンスがたまらなく愛おしくて、
「そもそも公式エンブレムに参加権すら与えられなかった負け組」
(一般公募すらされませんでしたからね。。。)
「Twitterであーでもないこーでもないと勝手にデザインしてわちゃわちゃしている負け組」
「負け惜しみ、その悔しさを作品にぶつけてやろうぜ!」...
そんなふうにわたしは感じて応募したのでした!!!!!!

一度世に出した作品は無効ということで(なんとバズった扇は使えない!)、
これまたメラメラとデザイン魂が燃えるじゃないですか!!笑
そんなわたしは次に「鶴」をモチーフにしたデザインで応募しました。
めちゃくちゃ楽しかった!!心から日本や国民の期待、世界の日本への印象などを思いながら、
「負け組ですが何か?!」
「著名デザイナーたちにフルボッコ食らいましたけど何か?!?!」
と開き直ってとっても楽しんで作った作品。笑

西野さんはわたしを見捨てなかった。
オチは西野さんらしいですが!

わたしをちゃんと見てくれる人はいる、そう思いました。

西野さんからのこの言葉、

「「ハズレがない」というのはプロとして一番信用できるところ。
エンブレムのデザインももちろん、『かんかん』さん自身も、もっと取り上げられるべきだと思いました。」

そしてどこかの記事でも、

「いつかかんかんさんに仕事をお願いしたい」

といった言葉を言ってくださったんです。
尊敬していたデザイナーを含む、日本屈指のデザイナーにフルボッコされた後のこの言葉。
心に、全身に、染みわたらないはすがありません。
ちょっとウルっとしたし、今も思い出すとウルっとします。
こんなアホなかんかんでも、どこかで傷ついていたんでしょうね。

そんなこんながあった2015年だったわけです。

からの.....2020年に!!!
こういう形でお仕事をご一緒することになろうとは!

西野さんがオンラインサロン内で、イラストやデザインが得意な人を探していますという感じの記事を発信されたんです。

わたしはその記事をベッドの中で朝方に見たのを覚えています。
2015年のあの出来事が一気にフラッシュバックし、その瞬間にコメント欄に作品を貼り付け散らかしました!

実は2015年にこんなに素晴らしい球を投げてくれた西野さんに、
いい球を投げ返せていない自分に若干がっかり、反省している時期でもありました。
わたしがもう少し賢かったならば、
この西野さんからの球を糧にもっともっと成長できていたはず、
もっと面白いことができていたはず、そんなことを反省していました。
鉄は熱いうちに打て、それが全くできなかった、へなちょこぴーな自分。

そんなこともあって、もうその記事を見た瞬間、多分ここで多少前のめりでもいいから手を上げないと、怪物君みたいに腕伸ばして掴んでかかるぐらいのやる気を表明しないと、わたしは色んな意味で永遠のヘタレデザイナーだと思ったのです。

記事にコメントを残したその日か翌日に、たしか田村さんからご連絡をいただきました。

その時の気持ち、「やったー!!!」「バンザーイ!」ってノリじゃなかった。
なんだろう。

西野さんからの第2球目、これ空振りしたらわたし死んだ方がマシだなぐらいの勢いで、

「その球!!!しかと受け止めたーーー!!!!!!!」

みたいな、「絶対外せない!!!」みたいな、どえらいプレッシャーのような...。

何だ何だ、ものすごい長い記事になってしまった...!

ごめんなさい。

つまり、周りの批判している人々なんて「思とけ!」精神で、やることをやっていく、そして結果を出していくのみ!!!
それをどんどん有言実行していく西野さんを見ていて、

「せや!せやせや!!」

と、わたしもあの時を思い出しては西野さんの背中をみて、自分を奮い立たせております。

そんなお話でした。

おしまい


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