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無低はけしからんか

はじめに

 無料低額宿泊所(以下、単に無低)けしからんという支援者は一定数いてツイッタランドにも湧いているのだけど、無低を紹介するのを阻止しましたとか悪徳無低に突撃しましたとかそういう系で、共通しているのは「なぜ」がないこと。この手の話が来るたびに毎回同じことを言うのも面倒だし、かといって放っておいてもかえって有害だったりするので困る。なので、年末に持て余した暇を使って、無低は大体どういうところで、なんでこれだけ批判され、事実として悪徳な事業所が存在しながら一向になくなる気配がないのかについて、個人的な観測範囲で述べる。なお、学術的な話や歴史的経緯を述べるのは手に余るので、現在のごく限定的な範囲の話として述べる。念のため断っておくと、悪徳無低とされる事業所を擁護する意図はないし、私自身はどちらかといえば、そういう悪徳な無低とそこに人を処遇して恥じない福祉事務所とを共に撲滅したい人間である。

無低ってどういうところ


 社会福祉法上の定めがある施設で、無料または低額で人を泊めて面倒を見る施設(曖昧)。監査もあるし指摘事項もWEBに公開されていたりするけど、許認可制ではなくて届出制なので別に行政が管理しているわけじゃない。無届けの施設もある。意外というか、無低を批判しているホームレス支援系の団体の施設の中にも無届の施設はある。法的な入居者の定めはないから生活保護じゃなくても入れるけど、実質的には生活保護を受けている人が入るケースがほとんど。個別に助成を受ける場合を除き、法令に公的拠出の定めはない(無料とか低額とか言っているのに)。サービスは事業所によって幅があり、悪徳無低としてやり玉に挙げられるような施設だけではなく、職員が色々と支援してくれて食事も手作り、なんてところもある。まあでも、一部の良心的な事業所以外はあんまりよくないっていう印象。正規分布じゃないっていうか、いいところ以外ダメで、ダメの幅が下に広い。生活保護を受けている自治体にある無低に入る決まりはないので、無低に入所するために区市町村を跨ぐことは普通で、なんだったら都道府県も平気で跨ぐ。ちなみに、どれだけ遠くても役所に来るための交通費は自腹。

 最近になって日常生活支援住居施設という上位互換かつ許認可制の制度ができたけど、ささやかな事業費と引き換えに運営上の制約が課されたり書類をいっぱい作らないといけなかったりするので、制度上の上位互換ではあるけど別にサービスが担保されてるわけじゃない。

どうやって入るの


 ほとんどは、家がない状態で生活保護の申請に行くと生活保護担当の職員から紹介されるケースではないだろうか。中には、無低入居を保護申請の条件に提示する例があるようだけど、普通に法令違反。また、行政措置ではなく事業者と本人との契約で入居する。障害者総合支援法上の施設ではないので支給決定もいらないし、介護認定もいらない。空いていれば即日入居できるところも多い。でかい法人とかは窓口に相談すると空き室のある施設を紹介してくれるので行政からすると便利。賃貸借契約みたいに敷・礼2か月とかもないので生活保護を受けていれば手元に現金がなくても入居できる。

何か問題でも


 パッと思いつくだけでも
1.アパートを借りたいのに無低に入るように言われた
2.サービスの質が悪いのに保護費のほとんどが持っていかれる
3.無低に入ったきり抜け出せないまま放置されている
とか、まあ色々ある。でもそれって悪徳施設の話であって無低の話ではなくねって話なんだけど。

  1. 住所不定の状態で保護申請にきてアパートを借りるとして、契約して入居までのあいだはどこに行けばよいのか、という話がある。そもそも借りられるのか、という話もある。そもそも生活保護は申請即決定じゃない、身一つで申請に来たとしても、その人が要保護者、つまり生活保護を受ける基準を満たすかどうかを調査しないといけない。ここでも扶養照会という問題があるけど今回は割愛。アパートを借りたことある人ならわかるかもしれないけど、不動産屋だって大家だって慈善事業じゃないので当然審査する。当然時間はかかる。その間、住所がない人はどこへ行くのがよいのだろうか。障害や高齢など、属性ごとに入居施設はあるけどどれもこれもすぐに入れるものではない。その手の施設は人を選ぶのだ。一時保護をやる施設や事業なんかもあるけど、そもそも需要に対して定員が全然足りてないし、集団生活でルールもあるので誰でもフィットする施設じゃない。今東京都の施設の定員見たら70名だった。住所不定の保護申請に対して足りなさ過ぎ。そしてこれも重要なんだけど、生活保護をどこの自治体が実施するかには複雑な基準があって、住所不定の人に関しては現在地で受けることができる。これは、住民票とか住んでいたところとかに限定されずに保護申請できるメリットがある一方で、福祉事務所からすると取り下げて別の自治体に申請に行ってもらってもOK、ということにもなる。事実、複数の自治体の保護を渡り歩く人は珍しくないので、福祉事務所の責任は曖昧になり「嫌だったら他所へ行くやろ(適当)」の精神が生まれるのだ。

  2. 上にも書いたけど、基本的には国や自治体から補助金が入るわけじゃない(自治体が個別に助成したりはあるかもね)ので、食事代や水道光熱費、家賃から職員の給与までを入居者からもらったお金で賄うことになる。まともにやればペイしないし、ペイするようにやるとえげつないクオリティになる原因は大体そこ。営利団体として利潤を求めるとクオリティはさらに下がる。ちなみに、東京都23区の保護費は総額だいたい月13万円くらいで、各種加算や特別基準を適用するともう少し上がる。仮に一人当たり込々10万円くらいもらって、設備と職員から定員何人くらいで運営すればペイするか、計算するのも大変なので割愛。障害のグループホームでもそのくらいかかるところはあるけど、彼らは普通にサービス報酬をもらっている。まあ、慈善事業だったりパトロンがいたりしないと施設の財政がまわらない制度ということ。実際に先進的な施設だって地元自治体から個別に助成してもらったりクラファンしてたりするし、そうでないところは法人で赤字をカバーしてもらってたり、職員の給与が残念なことになってたりする。

  3. これについてはあんまり書くことがないというか、無低を経過的な対応として早期にアパート等に移行してもらうようなマンパワー(質・量)も内的動機もないっていう、1、2に比べると大分受動的な理由なんじゃないかと思う。アパート借りて自分の自治体に定住されるのは自治体財政の損得だけで言えば普通に損だからね。ただ、アパートを借りるお金を出す条件を課す例はあって、その中にかなりえげつないものがあるのも事実。自立できる給与の仕事決めてきたらとかね。なんだったら失踪したら合法的に生活保護を打ち切れるので半ば意図的な兵糧攻めみたいなこともあるとかないとか(曖昧)。

なんでそんなところに紹介するの


 結果的にそれしかないから。その日のうちに入居できて、とりあえず雨風もしのげて食事の提供もあって、職員がいるところって実質的にはそのくらいしかない。障害とか高齢とか、特定の属性があれば施設の選択肢は広がるけど、その日のうちに入れる施設なんてあんまりない。いろいろな支援団体がシェルターとか入居施設をやっていて、それは大変に素晴らしいことだけど、それって無低という制度の内部的な幅と何が違うのっていう話。上にも書いたけど無低にもいろいろあって、あくどい商売みたいなところから立派な支援施設まであるけど、それとどう違うの、という。アパートを借りるまでの経過施設って言い方するともう区別がつかない。むしろ、無低として届け出て監査を受けているだけその手の先進的な無届施設より公的な地位は確かなんじゃないのかね。
 アパート借りるまでネットカフェに泊まるのはいいんですかって話もある。それだってネットカフェ難民に部屋を貸してくれる不動産屋にたどり着かないといけない。政策的にそういう施設を整備すべきだというのはその通り。でも、全ての無低を不要にする素晴らしい政策が実現するその日まで、きょう家のない人はどうすればいい?

 支援団体や記者がこれだけ批判しても悪徳無低への紹介がなくならないのは、きょう申請に来た人が今日泊まれる部屋を提供してくれる施設がそれしかなくなるから。その手の入居施設が全く足りていないので、悪徳無低は悪徳なままでいられるのだ。
 役所の人間が嫌がらせでやっているとか特段悪辣だとか、単に人を見立てる力がないとか、そういう場合もあるだろうけど、たいていは社会や政策の欠陥に彼らなりに対処しているだけ。そして、役所というのはそういうことにリアリティや責任感を持たなくていいような構造になっている(そうでないケースワーカーをいっぱい知っているが、そういう人は構造から自生しないという話をしている)。
 生活保護制度自体の歪さにも原因があるが、それを書くと字数が倍になるので略。

悪徳無低を批判すること自体は別によくね


 少なくとも個別には悪くないように思う。ただ、
1.無低にもいろいろあることを理解していない
2.無低をなくした後のことを考えていない
3.自分たちが支援した人のことしか考えない
こういう批判はよくないと思う。わかっていないなら不勉強だし、ポジショントークなら悪徳。

  1. 自分は正直入りたくないし、紹介する立場なら申し訳ないと思うところも多いけど、支援者として見立てを以てここにお願いしてはどうか、という無低もある。救護施設とかほぼ都心にしかない更生施設とか、現金支給は2万円前後だし、割と多人数部屋だし、パーテーションすらないようなプライバシーもへったくれもないところもあるけど、それって無低とどう違うのという(そういう施設を批判する意図はないです)。

  2. 今まで無低にいた人は無低がなくなったらどうなるか。みんな即日アパートを借りられるか、もっといい施設が雨後の筍のように生えてくるか。

  3. 無低を批判する外部性として、無低を嫌がって保護申請をためらう人が出かねない。どこの支援団体もそうだし別に義務ではないのだけど、自分たちだけですべての悪徳無低入所を阻止できるわけじゃないのよね。全国で一体どれだけの人が無低に入居し、どれだけの人が無低への入居を勧められるのやら。その中のほんの一握りとして支援団体につながれるか、その人たちに支援対象者として扱ってもらえるかが既にサバイバルの始まりになってしまう。施設は嫌だけどその手の支援にもたどり着けない人はどうしようか。

 結局、無低けしからんという正論が先で目的だから、無低の「なぜ」には全然興味がないのよね、きっと。

結論


 無低は制度であって実態ではないので、無低の中にも悪徳無低とそうでない無低がある。悪徳無低は社会や政策の結果であり、原因ではない。福祉事務所が悪徳無低を紹介するのは悪意というよりただの出口戦略。悪徳無低をなくすには原因を一つ一つ丁寧につぶしていくほかないが、それには現場でできることから政策、社会運動までいろいろなレイヤーがある。異なるレイヤーの作業は並行して行うことができる。その意味で、制度的欠陥を補完してしまうという指摘はあるにせよ、いい無低で支援を提供することと悪徳無低をなくそうとすることは矛盾しない
 制度ではなく実態でよい支援を見極めること、供給されている支援の良し悪しを選別していくこと、自らよい支援を供給することも、支援者がとることができる重要な方法ではなかろうか。


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