見出し画像

父の日

ホームワークの報告です。

今日は父の日でした。ホームワークだった「父の日に何か贈り物をする」を無事に完了しました。感謝を伝えることが目的でしたが、感謝を伝えることはしていません。

ホームワークの提案をもらった時に、贈り物は「自分の描いた絵」と決めていました。父の日用に描いた絵を以前買っていたフレームに入れて。絵は簡単に時間をかけずに描きました。それは私の気持ちの通りでした。父に対する思い入れはそんなものだから。描いた時も今もそれで充分だと感じています。

渡す時にはやっぱり少々照れ臭く、なかなか言い出せず、散々父が父の日をアピールしきった後に、白々しく「あ、そうだ父の日持って来てた…」などと言って渡しました。

「なんだ食べ物じゃないのか」と渡された物をすぐに見ることをせず放置して部屋を出る父。まぁ、父らしい。忘れた頃に戻ってきて母に促されてやっと中身を見る。「なんの絵?ん~。孫ちゃんが描いた絵みたいだ」と。しばらく色々な角度から眺め続ける父。「私が描いたのよ」と言うと「へぇ~。お前が描いたのか。それなら価値がある。部屋に飾るよ」と絵を持って部屋を出る。

母は染色を、父は版画を趣味でやっていました。実家では自分の作品を人に渡したりもらったりすることは別に特別なことではありません。でも、私の作品を父が見たのは初めてだし、ましてや父の日の贈り物として渡されるなんて思ってもなかったと思います。

私は父の言葉を聞いて「へぇ言葉にするんだ」と思いました。別に意外でもなかったし、実は父ならそういったことを言うことを感じていたみたいです。

私は父が私のことをもう否定しない事、46歳にもなる母親になった娘を少しは認めていることを薄々感じていたのでしょう。でも、それを認めるわけにはいかなかった。私にとって父は最低な人間でくそな親でなければならなかった。自分の人生を自信を持って生きない言い訳として。

今回のホームワークをしてそんなことに気が付きました。

「自分の人生を生きる」「自分の本当にやりたいことで生きる」と決めて進み始め、そして父の余命3年を聞いて…その最低でくそな父親像は必要なくなっていました。
今回父が言葉にしたことを聞いて私が意外に感じなかったことで、父が少しは私を認めている事、私が父を認めている事…それをはっきりと認めることができました。私にはもう最低でくそな父親像は必要ないようです。

あと3年ぐらい、父は相変わらずな面もあるはずですが、やっと「人と人」として向き合って行ける気がします。

今度はもう少し丁寧に描いた絵をあげるわ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?