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写真で振り返る「鮭の聖地」モニターツアーレポート!(前編)

初めまして。
大阪生まれ西成育ち。ご縁があって2020年に釧路市阿寒町へと移住し、道東・釧路エリアを拠点にカメラマン・ライターをしている崎一馬です。

大阪暮らし20年以上。生粋の大阪人であった私も気がつけば北海道に移り住んで3年目。

生まれ育った本州・大阪での暮らしと今の暮らしは比較にならないほど別物といっても過言ではない。
季節でいえば、桜は5月に咲き始め、お盆を過ぎれば信じられないくらいの涼しい秋風が吹く。冬になれば16時半には日没して真っ暗になる。そのせいでめっちゃ早くにお腹が減る。
生活で言えばクルマでの移動距離がおかしい。1日200km移動(大阪〜名古屋くらい)などザラであるし、運転中は人よりも野生動物に注意しながら走る。
正直いって今でも慣れないし、慣れたくない。

そんな驚きの北海道生活のなかで特に印象的なことが1つある。

それは「鮭」との距離感の近さだ。

普通のスーパーの鮮魚コーナーに平然と鮭が丸々1本売られ、秋になれば鮭を狙う釣り人が海岸にびっしりと並び、川を覗けば別の魚だろうと思うほどの鮭が泳いでいる。しまいには鮭専門の水族館が2つも道内にあるというほどだ。
関西では滅多にお目にかかれないイメージだった鮭がここまで日常に馴染む場所が同じ日本にあるのかと驚いた。

この距離感の秘密は、ただ近海で獲れるからという単純な話ではない。

北海道は「鮭」があってこそ歴史があり発展してきた地域なのだ。

「鮭の聖地」の物語~根室海峡一万年の道程~

日本有数の鮭の産地として知られる標津町は、鮭という豊かな天然資源をめぐり一万年前から続く「鮭の聖地」の源流だ。ここ、根室海峡沿岸部では遥か一万年の昔から、絶えず人々の暮らしが続く。その支えとなったのは、大地と海とを往来し、あらゆる生命の糧となった鮭である。

そして根室管内の1市3町(標津町・根室市・別海町・羅臼町)による「鮭の聖地」「『鮭の聖地の物語』~根室海峡1万年の道程~」は令和2年6月19日に日本遺産に認定されている。

2022年10月。
この日本遺産「鮭の聖地」を活用した観光の推進を目的とした2泊3日のモニターツアーが開催された。内容は鮭の聖地の物語の舞台を巡り、さらにチャーター機で上空からその聖地の舞台を遊覧飛行で眺望するというかなり豪華なコンテンツ。そこには「ツアーを通してストーリーの根底を体感してほしい」という思いがあった。

今回はそのモニターツアーに私も参加させていただいたので、その様子を記事にしてお伝えしようと思う。

まずは1日目。
最初のプログラムは、キーとなる「鮭」について深く知ることから始まった。

鮭について学び、鮭との歴史を探る「標津サーモン科学館」

「鮭」と「標津」の関係性を知る前に、そもそも「鮭」という魚の生態を知る必要がある。鮭とひとくくりに言ってもそれはあくまでも「総称」であって本来は非常に細かい。特に鮭は他の魚類と違って海と川の両方で生きるためさらに分類が難しい。同じ魚でも川と海で呼び名が変わったりするのだ。

そんな複雑な鮭の生態をわかりやすく教えてくれるのが「サーモン科学館」の 副館長・西尾朋高さんだ。

まずはサーモン科学館のメイン水槽の前で鮭の種類について教わる。この水槽内にもさまざまな種類の鮭が泳いでいるため、教えてもらったその場で見比べられるのが面白い。実際に見るとそれぞれ色も形も全然違うんだなぁと知った。

もう一つサーモン科学館の見どころポイントがある。
それがこの「魚道水槽」と呼ばれる水槽だ。
この水槽は科学館の近くを流れる標津川と直接繋がる水路になっている。つまり秋になると、産卵のために標津川へ遡上してきた鮭がこの水路に入ってくる。自然界で生きる天然の鮭を間近で見ることができるのだ。

この日、副館長の西尾さんも「当たりの日だね!」というほどたくさんの鮭が水路に入ってきていた。

鮭の遡上は想像以上に過酷なものだという。
オスは子孫を残すためにメスをかけて他のオスと命懸けで戦う。オスの口先が尖るのもこの戦いのための武器になるからだそうだ。メスを奪い合うケンカ、その戦いで負った傷を目の前で見ることができる。自然界の厳しさを痛感する。そんな瞬間だった。

鮭について学んだ後は2階の展示エリアへ。ここから「鮭の聖地」としての所以を辿る歴史の旅が始まる。
北方民族時代、江戸時代、そして明治から近代へと時系列を追って根室エリアの発展と鮭との関係性を追うことができる。

北方民族時代から生きるための重要な食として必要不可欠だった鮭。江戸時代には鮭を貿易の品としたアイヌと和人との交流が生まれ、さらにはロシアなど国を超えた交流が始まる。沿岸部は発展し、明治時代には北方漁業の重要拠点として開発が進められていく。

ここ最近、「鮭の不漁」というニュースをよく耳にするが、不漁の時期は現代に限った話ではなかった。
まだ漁業のみが主産業だった当時、鮭の不漁は生活を揺るがす大事件だった。不漁であっても生活をできるようにしていかなければならない、そこで進められたのが漁業以外の産業への進出だ。漁師たちは鮭漁のオフシーズンなどを使って、酪農や畑作にも乗り出していく。
こうして沿岸部だけでなく内陸部への開拓が本格的に進み、パイロットファーム事業など国の政策もあって一気に酪農大国へと歩み始めたというわけだ。

ここまでの流れを聞くと「鮭の聖地」とこのエリアが呼ばれる理由がわかるだろう。町の発展の全てのきっかけは「鮭」といっても過言でないのだ。

「鮭の聖地」を空から眺める旅へ

サーモン科学館を後にし、続いて中標津空港へとやって来た。
今回のツアーのハイライトと言ってもいいだろう。鮭について学び、鮭と地域の発展の歴史との関係性を知った後は、その発展した地域を空から眺めるという「遊覧飛行」を体験できる。

「中標津空港→羅臼→野付半島→根室」と根室〜羅臼エリアを網羅する飛行ルートで約50分間のフライトを予定。
個人的にもとても楽しみだったので胸が高鳴っていた。

行き先を表示する案内ディスプレイに「遊覧飛行」と書かれているだけでワクワクが止まらない……!

搭乗案内のアナウンスが流れ、機内へと向かう。
今回の遊覧飛行で使用されたのは北海道エアシステム(HAC)のプロペラ機(AT R42-600)だ。この機体のいいところは翼の位置が座席よりも上にあること。どの席からでも景色を眺められるのが特徴だ。

そして待望の離陸の瞬間を迎える。

遊覧飛行当日の天気は曇天。特に分厚い雲に覆われていた羅臼方面のフライトが悪天候で中止になってしまった。
知床連山を眺められるのを楽しみにしていたので残念。でもこればっかりは仕方がない。雨男よ、こんなところで発揮しなくていいのに。

離陸してまもなく標津町が見えてきた。
海岸線に沿って発展してきた町だということがよくわかる。奥には私が大好きでやまない野付半島も見える。

そして飛行機はその野付半島へと機首を向けた。

野付半島に沿うように飛行していく飛行機。
今回は雲により高度500〜800m程度と低空飛行であったため野付半島全体を見渡すことはできなかったが、本来であれば上空2000m付近を飛ぶので特徴的な形状をした野付半島全体を上から眺めることができるだろう。

それでも、普段は地上からでしか見られない野付半島を上空から眺める感動は大きい。海老反りのように湾曲した独特な形状には目を奪われる。本当に神秘的だ。

野付半島の奥に大きな島が見えた。国後島だ。

教科書やニュースでしか見たことがなかった国後島だが、まずその近さに驚く。北海道本土から約20kmほどしか離れていないそうだ。こんなにも近い島が領土問題に揺れているのかと考えるとなんとも言えない感情が沸き起こった。

山側の景色は先ほどとは全く別の世界が広がっていた。
どこまでも続くような地平線と、綺麗に区画された牧草地が延々と広がっている。漁業により海沿いから始まった開拓は、先人たちの新たな挑戦と思いによって内地へと広がっていく。そして酪農・畑作という産業をこの地で確立させた。

海から陸へ。この広大な土地を開拓し発展させた先人たちの力強い思いのようなものをこの遊覧飛行からみる景色からとても感じることができた。

これぞ聖地!鮭のフルコースをいただく「郷土料理 武田」

旅先に来たらその土地ならではの料理やグルメを楽しむことは欠かせない。
今回のツアーでは食を楽しむ要素もしっかりと組み込まれている。

訪れたのは根室海峡近海で獲れる新鮮な魚介類を使用した料理をいただくことができる「郷土料理 武田」。

今回は鮭をふんだんに使用した「鮭のフルコース料理」をいただけるとのことでとても楽しみ。そして順々にたくさんの鮭料理が目の前に運ばれてきた。
まずはこの種類の多さに驚く。今回の料理は全部で13種類。その全てに鮭が使用されている。

食べる前から美味しいだろうとわかる「鮭のしゃぶしゃぶ」。さっと昆布ダシが効いた湯に通してポン酢でいただくしゃぶしゃぶは頬が落ちるとはこのことかと思うほど絶品だ……。

そして見た目のインパクトの強い「鮭のかぶと煮」もこれまた絶品。甘い辛い煮タレが染みたお肉がほろほろと崩れる。今すぐ片手に白米が欲しくなるそんな味だ。

他にもアイヌ料理としても有名な鮭の血合いの塩辛「メフン」などの珍味。肝の串焼き、白子の唐揚げなど、普段なかなかいただくことのできない鮭の料理が並ぶ。

そしてこのお店の看板料理とも言える「鮭三代漬け丼」。
イクラ、漬けサーモン、鰹節ならぬ「鮭節」の三代が白米の上にのることからこの名がついた。さらにこの三代に加えて漬けホタテがのる贅沢などんぶり。これは美味しい……もうそれ以外の言葉は必要ない。本当に美味い……。
プライベートでもこのどんぶりを食べに旅をしにきたいと思えるほど美味しかった。必ずまた来るぞ……!

温泉で旅の疲れを癒す「標津川温泉ぷるけの館ホテル川畑」

食事に加えて旅先で絶対に欠かせないのが「温泉」だ。
必ずと言っていいほど私は旅先でその土地の温泉に浸かって帰る。たとえ日帰りであろうともだ。その地の湯に体を通しては「あぁ〜」と体の底から何もかもが抜けていくような声を漏らすのが最高なのだ。

今回のツアーは2泊3日の日程。その2泊でお世話になったのが「標津川温泉ぷるけの館ホテル川畑」だ。

(写真はHPより引用)

ここの温泉はとにかく気持ちがいい。
源泉掛け流しの贅沢なそのお湯に浸かればすぐに体はポカポカ。温まった体で冷えた北海道の夜風に当たればもう何も言うことはない。

朝風呂として入るのも最高だ。
起ききっていない体で朝日に照らされながら入る温泉は夜とは違った気持ちよさがある。とにかく1日のスッキリ度が違う。目がとんでもなく冴える。


ツアー2日目は開拓の歴史をさらに深く辿る旅
中編へ続く

《1日目のツアー内容》

標津サーモン科学館


根室海峡遊覧飛行


郷土料理 武田


(写真はHPより)

標津川温泉ぷるけの館ホテル川畑


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