びじっとちゃん

面会交流支援ってなあに?

(一社)びじっと・離婚と子ども問題支援センター代表理事の古市理奈と申します。普段は大法寺の副住職を務める身であります。

(一社)びじっと・離婚と子ども問題支援センターは、面会交流を支援する団体です。

では、面会交流とは、そもそも何でしょうか?

面会交流とは?

面会交流とは、離婚する夫婦に未成年の子どもがいる場合、別々に暮らす親(別居親)と未成年の子どもが交流することを家庭裁判所用語で『面会交流』と呼びます。

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面会交流については、「⺠法等の⼀部を改正する法律」により⺠法第766条が改正され、平成24(2012)年4⽉1⽇から民法に明文化されました。
改正後の⺠法第766条では、⽗⺟が協議上の離婚をするときに協議で定める「子の監護について必要な事項」の具体例として「父又は⺟と⼦との⾯会及びその他の交流」(⾯会交流)及び「⼦の監護に要する費用の分担」(養育費)が明示されるとともに子の監護について必要な事項を定めるに当たっては、⼦の利益を最も優先して考慮しなければならない旨が明記されました。

離婚家庭は、ひとり親家庭なのか?

離婚する際には⾯会交流と養育費について定めることとなり、法律の上では、夫婦としては離婚しても、父母としては我が子の養育を共同で⾏い、親としての責任と義務を負うことになりました。

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ところが、別れることになった男女の関係です。相手に対する信頼感も尊敬の念も破たんしていますので、法律で決まっているのだから嫌な相手でも子育てを協力しなさいといわれたところで、『はい、そうですね』とは悲しいかな、なかなかいかないのが人の心ではないでしょうか?

でも、そこで困ってしまうのは、父母の間に挟まれる未成年の子どもです。

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『自分が悪い子だから、お父さんとお母さんは離婚するの?』

『自分は、これからどうなるの?』

子どもはその年齢によっても違いますが、このような漠然とした【不安】を抱えています。

不安を抱えたまま、住まいが変わったり、転校したり、名字が変わったりと子どもが生まれてから自分自身を形成してきたものが次々と新しいものに置き替えられていきます。

さらに、父母の関係性が険悪なゆえに離別した親(別居親)との交流がなければ、その背後にある親族(祖父母・いとこ等)との縁も失います。

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このように父母の離婚は、父母だけの問題ではなく、子どもの人生にとっても実は一大事なのです。

いかがでしょう? 私は、なんて子どもの立場は『理不尽』なのだろうと思います。

果たして、親が離婚したのだからしかたがないで済ませてよいものなのでしょうか?

離婚する際には⾯会交流と養育費について定めることとなり、法律の上では、父母として我が子の養育を共同で⾏い、親としての責任と義務を負うことになりましたが、公的機関の『ひとり親家庭』表記は、死別家庭だけではなく、生別家庭も含ませています。

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父母がそろって生きていても、ひとり親。

そこだけ見ても父母の関係性ゆえに子育てを協力しあうことが、いかに困難かというのが明白。

であれば、離婚後の子育てを第三者である私たちが支援致しましょう。

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面会交流には何故ルールが必要?

父母の関係性ゆえに子育てを協力しあうことが困難なケースの場合には、私たちのような何のしがらみもない第三者が、父と母と子どもの間に入り、支援することを面会交流支援といいます。

面会交流支援には、細かなルールがあります。

以下(2017年時点利用ルール)に抜粋してみます。

(1) びじっとでは、面会交流の調整以外のことはできません。
『○○を相手に伝えてください』と担当スタッフにお願いされる方もいらっしゃいますが、面会交流の調整以外についてびじっとはメッセンジャーにはなれません。

(2) びじっとは、裁判所ではありません。
もう一方の親の行動の正当性や是非を判断したり、利用者の言動にジャッジを下すことはできません。

(3) びじっとは、弁護士ではありません。
利用者間の交渉ごとの間に入ることはできませんので、交渉や面会の調整以外の仲介が必要になった場合は、弁護士や裁判所の調停などを通じて話し合いを行って下さい。

どうしてこのようなルールが必要なのかと言いますと、びじっとが父母の間の紛争に巻き込まれないためにあります。

『びじっと』を『子ども』に置き換えてみましょう。

(1) 子どもは、面会交流の約束をする以外のことはできません。
『○○を相手に伝えて』とお父さんやお母さんのお願いを子どもにしてきますが、面会交流の約束以外について、子どもはメッセンジャーにはなれません。

(2) 子どもは、裁判所ではありません。
もう一方の親の行動の正当性や是非を判断したり、お父さんお母さんの言動にジャッジを下すことはできません。

(3) 子どもは、弁護士ではありません。
お父さんお母さんの交渉ごとの間に子どもが入ることはできませんので、交渉や面会の調整以外の仲介が必要になった場合は、弁護士や裁判所の調停などを通じて話し合いを行って下さい。

いかがでしょうか? 面会交流について決めることはできても、それ以外の事柄をもう一人の親に伝えてみたところで、子どもを挟んで永遠と生産性のない口論が続くだけで、申し訳ありませんが迷惑なだけです。

では、このような生産性のない口論を続けてしまうのは何故でしょうか?

それは仏の教によれば、煩悩ゆえにと申します。

煩悩とはなにか?

煩悩を紐解けば、三毒にあたります。三毒とは、「貪瞋痴(とんじんち)」という言葉で表現されます。

三毒の貪(とん)は、貪欲の貪を意味し、貪り(むさぼり)の心にとらわれて執着している故に子どもを通して相手を自分の思う通りにコントロールしようとします。なので、メッセンジャーに仕立て上げようとするのです。特に復縁を求めているケースに多く見受けられます。ですので、面会交流をするのも子どものためではなく、相手との関係性を保持するために行う傾向が見られます。

三毒の瞋(じん)は、瞋恚(しんい)の瞋です。瞋は「いかり」とも読みます。瞋恚とは、「怒ること、腹を立てること」を意味します。自分は正しく、相手は悪いのだと怒っているのです。なので、相手の喜びは受け入れられません。自分が正しく相手は悪いのだから、その罪により罰を受けるべきであり、それが分からない相手には思い知らせてやらなければ気が収まりません。例として、子どもと一緒に暮らす親(同居親)ならば、面会交流を子どもが嫌がっているからと中止させます。子どもと離れて暮らす親(別居親)ならば、子どもを手懐けて、こちらに来させてしまおうとします。どちらも子どもを利用して自分を有利にしようとする心が働きます。

補足として、面会交流支援の現場では、子ども自身が自分の意志で面会交流を嫌がる場合ももちろんあります。この点が親子の向き合い方の重要なポイントです。このことについては、また、改めて書かせていただきます。

三毒の痴(ち)は癡とも書き、愚痴(愚癡)を意味します。痴はおろかとも読まれます。愚痴とは、「真理を知らず、物事の理非の区別がつかないこと」を意味します。自分は正しく、相手は悪いのだと子どもに対して愚痴を聞かせるのです。なので、もう一方の親の行動の正当性や是非を判断を求めたり、お父さんないしお母さんの言動を子どもにジャッジさせようとします。

以上のことから面会交流には自ずとルールが設けられています。

面会交流という離婚後の子育てに第三者の支援が求められるのは、子どもが父母の争いに巻き込まれず、ほっとできるためにあります。

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と同時に、親子が向かいあっていけるように支援します。

世間では、家族間、親子間の凄惨な事件が後を絶ちません。

子どもたちの人生は、私たちよりも遙かに長い。社会に飛び立っていくその時まで一緒に人生を伴走できたらと。

そんな風に想いながらの面会交流支援は新たな育児・⼦育てサポートのカタチです。


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