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[ 7NEW VISION TRACK ARTISTS ] Interview Vol.3 山浦のどか

高校時代、予備校、大学時代をふりかえると、改めて感謝の気持ちがわきあがってくると話す「山浦のどか」さん。山浦さんならではのタッチや世界観が誕生したエピソードや、個性的な創作の秘訣についてインタビューさせていただきました。

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美術に進んだキッカケは高校の美術科の先生

_山浦さんが美術に進まれた経緯についてお聞かせください。

山浦:美術は得意教科で、小学校の6年間、近所の絵画教室に通っていました。とにかくなにかを表現したいというのがありました。高校は普通科で選択科目で美術を選んだのですが、そのときお世話になった美術の先生との出会いが、今の私につながっています。
その美術の先生は、偶然にも私が行くことになる東京造形大学の彫刻科出身だったのですけど、すごく私を気にかけてくれました。あるとき、その先生から一枚の紙をもらったんです。そこに佐藤忠良という彫刻家の言葉が書かれていて、「周りにどう思われるかではなくて、自分がどう思うのか、本質はどこにあるのか」という内容の言葉だったんですけど、節目節目で折に触れて読み返して、そのたび助けられています。

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人生の原点を教えてくれた美大受験の予備校時代

_その先生が、山浦さんの進む流れを作ってくれたんですね。

山浦:はい。その高校に行って、その先生に出会うことが、私にとっては重要なことだったんだと思います。それで、美大に進みたいという教え子がいるからって、先生とつながりのある予備校の先生を紹介してくれて、そこへ通うことに決めました。

少人数制の予備校で、一人ひとりの生徒を見てくれている感じでした。それまでは自分の中での「学校」って、大人数のクラスで、先生と生徒の距離感に違和感を覚えたりしていたけれど、予備校に通うようになって、個人個人を見てくれてるんだって思ったとたん、自分で勝手に壁を作っていたことに気づいたんです。それがきっかけで、高3からけっこう学校生活を謳歌しました(笑)。

_なるほど、考え方がだんだん変わってきたんですね。

山浦:それまで部活も文化系だったので、競い合う「やるぞ!」っていう経験がなくて、予備校に通うようになって、はじめて美大受験のデッサンとか、実技の試験があって、自分を高めていこう、戦っていこうという意識が生まれました。同時に、自分が負けず嫌いだったことにもはじめて気がつきました。そのとき武者ぶるいしましたね。

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_そこで新たな自分を発見したわけですね。

山浦:新しい出来事ばかりで衝撃的でした。予備校では生徒一人ひとりに合わせた課題を出してくれて、みんなの個性を伸ばしてくれました。デザイン科にいたんですけど、絵画とか彫刻とか日本画の先生も指導してくれて、指摘されることがその分野によって若干異なるんです。たとえば、彫刻だったらボリュームとか、デザインだったら空間とか、でも根本的には共通していて、いろいろな考えに触れることができました。

ある日、予備校の先生が私に出してくれた課題があって。「手とビー玉」手と大量のビー玉を描きなさいという内容でした。「山浦は、量の人。手数の人だ」って。この子はなにが得意分野なのかを、きちんと見極めてくれてて、そのときから、量、手数って言われてて、今につながってるんだと思います。

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_たしかに、時間をかけながらコツコツとやるタイプの人だなっていうのは思いますね。山浦さんのなかで、けっこう大きなポイントになってますね。

山浦:そう思います。もう10年前の話なんですけど、根本は変わらないんだなと。大学合格が目標の予備校が多い中、私が通った予備校は受験の合格だけをゴールにしていなくて、ベースを大切にしてたんだなって思います。それが今もまさに自分のなかで生きています。

その当時はここまでの実感はなかったんですけど、あのときデッサンやって良かったって思うことが今、よくあります。デッサンって、描くことだけにつながるのではなくて、人生そのものを教えてくれるものなんだと思います。

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大学のデザイン科に進んだことは私にとって良かったこと

山浦:予備校ではデザイン科に入ったんですけど、途中で絵画科に移りたいと先生に相談したりして、いろんな経緯があり結果、東京造形大学のグラフィックデザイン専攻に進むことになりました。デザイン科に進んだことも、私にとっては良かったことだと思っています。

根本的な作業面でもデータづくりとか、ベース的なことができるのもデザイン科です。また、クライアントとか第三者がいてはじめて作品が成立すること、動いているのは自分だけじゃないという流れの見え方ができるのも、デザイン科にいたからできるようになったと思います。


どのようにして、“編み込み”のような独自のタッチは誕生したのか

_山浦さんの作品は、植物だったり、花だったり、ちょっと細胞的な特徴があります。このタッチは、どのようにして生まれたのですか?

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山浦:この表現技法は、大学3年の春頃に描きはじめました。ちょうど、就活のエントリーシートを書いているときの休憩時間に描いてみたんです。最初はなぜか女性の後ろ姿をずっと描いていました。女性がよくやる編み込みの髪型なんだけど、実際にはこうはならない。描いていく絵の中で、また別の世界観が展開していくような感じがしました。そんなに深く考えず、自然に出てきたんです。なんか面白いな〜って。

_髪の毛のイメージから始まったんですね。その時もしかしたら、ゾーンみたいなところに入っていたのかもしれませんね(笑)。

山浦:(笑)就職活動に煮詰まっていて、リラックスするために出てきたのかもしれません。これが原点で、いろんな人に見せたんです。そしたら、キューティクルが良いねとか、艶の感じが良いといった反応が返ってきて…褒められる共通点に「光」があるなと気が付きました。思い返せばデッサンでも、ガラスとかサテンの布を描くのが好きだった。そして、この編み込みの物量感、まさにこれって自分のテーマかも。これって柄としての良さもあるな。と、段々といろんなことが繋がりました。そのときに描いたものが今もありますよ。

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_木の板に描いてたんですね。もうすでに山浦さんのタッチですね!山浦さんのアイデンティティが詰まっている感じがします。

フィンランドで暮らして感じたこと

_フィンランドで過ごされたお話も聞かせてください。1カ月滞在して作品制作、展示するという企画でしたよね。

山浦:この夏、フィンランドのトゥルクに位置するアーキペラゴで、7月の一ヶ月間アーティストインレジデンスへ参加しました。キッカケは、海外に住んで生活してみたいっていう気持ちがあったのと、同じ様にレジデンスへ参加している先輩の行動に純粋に憧れて。海外で作品制作して発表するって、ただただカッコいいなと(笑)。

_わかります。長い人生、一度は海外生活を味わってみたいですよね。

山浦:うらやましがってないで、実現させようと思って応募しました。やりたいと思ったことはやるぞって感じなんです。

_その山浦さんの頑固さというか、ハートの強さがいいですよね。こうするんだって思ったら、行動して結果につなげるじゃないですか、そこにすごくプロ根性を感じる。

山浦:ありがとうございます。フィンランドには白夜とかがあって、日本とは違う景色なんだろうなって思って。制作はわりと自由で、やりなさいってこともなく、海に囲まれた島暮らしだったんですけど、自然から何かを感じとってくれたら嬉しいっていうのが、ホストさんの考えでした。

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_素敵なホストさんですね。山浦さんの他にも参加者はいたんですか?

山浦:ビデオアーティストと建築専攻のフィンランド人が2人、ペインターとオペラ歌手のドイツ人姉妹、版画専攻のアメリカ人が1人、そして私を含め参加者は6人でした。最初に自己紹介をかねたプレゼンテーションがあってこの柄のタッチの原画を見せたんですけど、こんな表現はじめて見たって言ってくれて、世界にもこう言ってくれる人がいるんだなって思いました。

フィンランドに行って身体で感じるまま、おもむくままに過ごしてました。なんか浄化されましたね。日本とはすごく距離があるし、だから自分は自分だしって思える時間が持てたことは良かったです。

アメリカの女の子とルームシェアしてたんですけど、すごく自分の意志がはっきりしていて、誘いがあっても体調が優れないから休むとか自分がどうしたいかを素直に行動していて…日本人の気質だけでなく、自分の性格もあるのかもしれないですけど、周りに流されるという国民性をすごく感じさせられました。

年齢を気にしたり、だれかれが参加しているから自分も参加しなくちゃとか、自分の声を聞いてなさ過ぎるなっていうことを生活しながら思いましたね。ある種遮断して、そういう時間が過ごせたことは良かったことでした。情報もすっきりしてて。日本にいると母国語の日本語が全部聞こえてくるから、惑わされるのかもって、その距離感の測り方とかが、フィンランドではすごく勉強になりました。

ホストのRenjaさんの庭から見た湖の景色

_展示する作品はどんなものを作ったのですか?

山浦:その場で出会った人たちから受けたインスピレーションと、自分が自然を見て感じたものを融合させて、水に浮かぶ立体作品を作りました。それが島に見えたら面白いだろうなと思って。フィンランドで過ごした時間を凝縮させたような作品。その場にいたからできた作品です。画材とかも現地調達でした。現地のホストの方は、私には島でなくてボートに見えるよって、ああそういう見え方もあるんだなって。日本で考えて、フィンランドに持って行って表現したいから作りましたっていう表現とはまた違う、そのときでなければ作れない作品になったと思います。

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これからの活動について

_最後に今後の活動についてをお聞かせください。

山浦:日本でも海外でも、いろんなところでこの柄を目にする時代を作りたい。「あ、またあの人だ!」って。そして、自分にとっても、私の想いを受け取る人たちにとっても、グッと来ることの“連鎖”を意識していきたいです。
そうそう、今までお話ししてきたこの編み込みのような柄(タッチ)には、実は名称があって。「NODOKA」と言います。自分の本名なんですけどね。でもこれがまた面白くて、名前の意味を掘り下げていくと、自分が表現したいコンセプトにたどり着いたんです。「のどか」の意味とは「空が晴れ、自然界に光が降りそそぎ、穏やかな様」とてもpeacefulでしょう…!光を表現するべく生まれてきたこの柄が、これから様々なきっかけと結びついて新しい展開を繰り広げていけたら嬉しいです。

_NODOKA柄が世界に浸透していってほしいですね。これからの活動、活躍も応援しています!

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インタビュー撮影をした際、即興で公園の砂にNODOKA柄を描いてくれた山浦さん。使った画材は”木の枝と石”だけ。どんどん柄が出来上がってくる様子は、まるで魔法にかかった砂を見ているみたい。真上から見た時のインパクトも抜群。突如出来た柄に近所の人もビックリなのでは、、笑 
紙の上以外でも表現方法に広がりをみせるNODOKA柄。ゲリラのようにパフォーマンスしても面白そう、、など湧いてくるアイディアがつきません。今後の展開も楽しみにしています!


山浦 のどか illustrator/artist/designer
1990年東京都生まれ、東京都在住。東京造形大学グラフィックデザイン専攻卒業。同大学専攻の助手を3年間勤め、2018年度よりフリーランスとして活動開始。光と空間をテーマに作品を制作し、独自の“編み込み”のような柄を生かしたアート・イラストレーションを展開している。
空間演出、広告、企画や装画などの仕事を手掛け、国内・国外にて活動中。

インタビュー:横田奈那子(vision track) / テキスト:山下正幸 / 撮影:稲垣謙一


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