特別研究員コラム⑤:身体の声、聴いてますか?~「フォーカシング」と「待つ力」の不思議な関係~
この詩は、岡村心平先生が書かれた「予感する身体」という論文に出てくる詩です。この論文は、身体の感覚に注意を向ける心理療法”フォーカシング”について考察されています。そしてこの意味深な忠告自体は、詩人リルケが詩を書くある青年に送った言葉だそうです。
何かを感じているのだけど、なんて言ったらいいか分からず胸の辺りがソワソワ、モヤモヤする、というご経験、皆様お持ちではないですか?人が何かに気づくときには、それに先立って、「何かまだはっきりしない、意味を含んだ、漠然としたからだの感じ」に注意が向けられるとされています。フォーカシングは、このどこかあいまいで、とらえどころのない、言葉にしがたい感覚を、「フェルトセンス」と呼んでいます。
行事や仕事が山積みで、次から次へ目まぐるしく期限に追われ、ソワソワしがちな年末。意識は急かされるように外に外に向けられ、なかなか自分自身の感覚に目を向け深く探ることができないシーズンだからこそ、今回は、このフェルトセンスについて書いてみたいと思います。
・身体に尋ねて、身体の声を聴き、身体に答えさせる ~身体が感じる漠然とした予感に尋ね続け、次の感覚を待つ~
「予感する身体」より
「予感する身体」の中で、フォーカシングの開発者Gendlineは、こんなことを言ったと書かれています。
ある種の予感に気づいて、それとともにいること、あるのかないのかさえ分からない、なんのはずみで起こるのかわからない、という曖昧な感覚に対して、それが何なのか自身に尋ね続け、次なる感覚を「待つ」ことがフォーカシングの本質であると論文の著者が記しています。
・急いてはことを仕損じる?! ~今ここで身体が感じている感覚に尋ね続けると「待つ」ことが自然とできる。身体に答えてもらうことの不思議さと大切さ~
忙しいビジネスマンには、「怪しい」「時間がない」と一蹴されてしまいそうな、雲を掴むような話かもしれませんね。私もまさに1日48時間欲しいと思うくらい時間が足りません。
そんな私は、今胸の辺りがソワソワモヤモヤしていて、そして、肩の辺りがカチカチです。それはただの肩こりだと笑われてしまうかもしれません。でも、このソワソワモヤモヤとカチカチ、よーく感じてみると、ちょっとした違いがあることに、ふと気が付きます。肩のカチカチは、今、私の肩がカチカチで辛い(笑) 過去でも未来でもなく、今、辛い、という感覚を言葉にすることができます。でも、ソワソワモヤモヤはどうだろうと。今、感じているソワソワモヤモヤは、今起きていることに対してソワソワモヤモヤしているのだろうか?なにかをすると楽になるのか?そもそもなんでソワソワモヤモヤしているのだろうか?と身体に尋ねます。書類作成、会議…先にある期限(未来)、今ここで答えの出せないことに対する、焦りや不安…あぁ、そうか、先のことが不安で、ソワソワモヤモヤして、今ここにいる自分の身体は、肩に力が入ってカチカチになっちゃってたんだ…あぁ、何だか胸の辺りが軽くなって温かくなってきたな…なんで?あぁ、得体のしれないソワソワモヤモヤが、先のことに対する不安だと気が付いて、ちょっとホッとしたんだ…未だ起こってないことに不安になって、身体に力が入って緊張してたんだな。期限はまだ先。大丈夫。あぁ、なんだかお腹が空いてきた。ちょっと安心したんだな♪
結局、「身体が感じているなにか」に意識を向けてみると、次から次へと感じられて、気づくと15分ほど経っていました。なぁんだ、このくらいの時間は、ちゃんとあるじゃん、と張りつめていた気が、今抜けております。ほっとした分、頭の中に冷静に考えるスペースができたように感じます。
何かと忙しい年末ですが、皆さんも、身体に尋ねて聴く時間、とってみてはいかがでしょうか!身体が感じている感覚を「大したことではない」と無理に否定して外に眼を向けるのではなく、きちんと向き合い、自然に言葉やイメージが湧きだしてくるのを「待つ」ことで、ホッとして楽になる不思議な体験ができるかもしれません。
特別研究員プロフィール
黒木 貴美子 (クロキ キミコ)
ビジョン・クラフティング研究所 特別研究員
某大学院にて臨床心理学勉強中
精神保健福祉士