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ただそこに咲く花のように

「なぜそれをやりたいの?」

人が何かをやりたい!と思うとき、その動機の一つに「(自己)効力感」というものがあります。


自分が何かをすることで良い影響が与えられていたり、役に立っていると感じられたりするような感覚、というイメージです。

感謝されることが嬉しい
認められることが嬉しい
褒められることが嬉しい
賞賛されることが嬉しい
必要とされることが嬉しい…etc.


これは、誰の中にもある感情であり欲求だと思います。


そのために頑張ろうとしたり、それによってやる気や、やりがいを感じたり。そのために努力したり、何かを身につけようとしたり、磨いたり。


そういう意味では、効力感がエンジンになって、自分を動かしてくれることは間違いなくあると思います。

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しかし、しかしです。


あえて私はよく言います。「“効力感の罠”に気をつけて」と。


何かをする結果として、感謝されたり、認められたり、賞賛されたりすることは素晴らしいことです。


でも、その効力感は時として、それ自体が目的になってしまうことがあります。

ありがとうを言ってもらうために・・・
すごいねって言われたいから・・・
君が必要だって言ってもらいたいから・・・


そうするとどうなるのでしょうか?


わかりやすく、あえて誇張して書きますね。「そんなことねーよ!」って方もいるかもしれませんが…(^_^;)

どうしたら、感謝されるか?
どうしたら、認められるか?
どうしたら、賞賛されるか?


そうしてもらえそうな行動をとることを考えます。


予想に反して、感謝、承認、賞賛が得られないと、不満を感じるようになります。


誰かが、感謝、承認、賞賛されているのを見て、羨んだり、嫉妬したりします。


そして、どうにかして自分に関心を向けようとします。


エスカレートしていくと、時に相手を下げたり(侮辱・見下し・非難)、自分を納得させる解釈(自己弁護)をしたり…。


でも、そんな自分に嫌悪感が出てきて、なんかよくわからなくなってくる。自分が好きになれなく(自己否定)なってくる。


だから、もっと感謝され、承認され、賞賛される自分になろうとする。変に開き直ってみたりする。効力感を得られない自分を感じたくないから、周りと距離をおく(逃避)ようになったりする…etc.


どうして、どうして、なぜ、なんで…。


そう、効力感は時として、ここに陥ってしまう恐れがあるんです。少なからず、私にはこんな感じだった時があります。


この状態は結構苦しい…。自分を生きていないような感覚。

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だからこそ、今、私はこう思っています。自分が本当の本当の本当は、何を求めているのか?何をしたいのか?何をすることに悦びと情熱を感じるのか? 大事なのはここなんだって。ここを拠り所に出来れば、ちょっとやそっとのことでは揺るがないモチベーションが生まれます。


そこを探るために、私はこんな問いをよくお伝えします。


あなたが、「それをやることそのもの」にワクワクし、やりがいを感じることは何ですか?

あなたが、「その状態にあることそのもの」にワクワクし、悦びを感じるのはどんな状態ですか?


「それをやることそのもの」とは、結果や成果ではなく、その行為や対象そのもののこと。「その状態にあることそのもの」とは、文字通り、何かを体現したり実現したりしている状態。


その行為や対象そのものに情熱や悦び、愛情を感じること。効力感ではなく、その状態を味わっていることそのものに、悦びや嬉しさを感じること。これこそが、真のモチベーションになるものだと私は思っています。


そこにつながっていれば、それこそ結果がどうあれ、周囲がどうあれ、自分はそれをすることに常に情熱を傾けられるんですよね。その状態につながることを自然と選択していく。


「意志をもって、結果は手放す。」この感覚が大切なんです。


そして、この感覚になる鍵は、「自分がどんなあり方」でいるのか?どんな自分として行動するのか?ってことなんです。これをBeingって言ったりします。

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たとえば、「誰かを笑顔にしたい!」って思ったとき、笑顔になるかどうかは相手の問題です。自分が出来ることは、笑顔にすることではなく、ただ純粋に相手に何かをしてあげたいって思って、ただそれをやるということ。ただそこに咲く花のように。


この時「愛を惜しみなく与える自分」とか「丁寧に心をこめてやる自分」というあり方=Beingから、その行為をしていれば、結果ではなく、常にその自分として何かをすることに意識が向くのです。


決して、結果がどうでもいいというわけではありません。結果も大事。でもその結果ばかりにフォーカスしてしまうと意識が今この瞬間にいなくなってしまうんです。効力感を得られるか否かに引きずられてしまうんです。


何かをしたことで思いがけず「ありがとう」と言われた一言が忘れられず、それが心の拠り所になっているということだってあると思います。でも、その「ありがとう」は、きっとそれを求めて得られたのものではないと私は思います。だからこそ、心に残るくらい嬉しかったんじゃないかって。


あなたはどうでしょう?


あなたにとって「それをやることそのもの」にワクワクし、やりがいを感じることは何でしょうか?


あなたにとって「その状態にあることそのもの」にワクワクし、悦びを感じることは何でしょうか?


そして、「どんな自分のあり方」で選択し、行動していきますか?


あなたの人生は、あなたのものです。あなたが主人公の物語。あなたがあなたを生きた時、はじめて真のつながり、真の悦び、真の情熱が生まれるんじゃないかなって思うんです。

~2017.5.26の記事から~

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