漆黒の宇宙から地球を眺める。
美しく蒼き地球を。
生きている自分の、
この眼で、しっかり眺めたい。
宇宙空間の中、
肉眼で母なる地球を見ることが
子供の頃から私の憧れだった。
そして
現在の私の夢のひとつでもある。
宇宙と聴くと、
なぜか心が躍る。
なぜか、
わたしの心が震える。
果てしなき流れと広大無辺の空間。
神韻縹渺(しんいんひょうびょう)たる大宇宙。
むかしの私には
宇宙は
SF映画の真っ黒な闇に漂う星間に
またがる宇宙空間が宇宙のイメージだった。
そして、
真夜中に見上げる星々にただよう空間のみが
宇宙だと思っていた。
ところが、
宇宙という言葉の意味について
知人から教えてもらったことがあった。
【宇】とは【時間】のこと。
【宙】とは【空間】のこと。
だという。
つまり【時空】のことだ。
「なるほど!」と思った。
こちらのほうが
私の本当の心が求めていた答えと近い意味だ。
さらに広辞苑でひいてみた。
「『宇』は天地四方、『宙』は古往今来の意。
一説に、
『宇』は天の覆う所、『宙』は地のある由る所。
すなわち天地の意」
「世間または天地間。万物を包容する空間。」
哲学では
「時間・空間内に存在する事物の全体。
また、それら全体を包むひろがり。
もっと狭い限られた範囲の事物全体を
指していう場合もある。」
物理では
「すべての時間と空間およびそこに含まれる
物質とエネルギー」
天文学では
「すべての天体を含む空間。
また特に、地球の気圏のそと」
とある。
わたしの感覚では物理の定義と近い。
さらに漢字源で調べた。
すると
元々の解字の意味は
『宇』は「大きくてまるい屋根のこと」
『宙』は「家の上をおおうむねばしらや、
舟の上をおおう屋根のこと」
転じて、
宇宙とは
「世界をおおう空間を『宇』、
時間の広がりを『宙』という。」
「やはり、そうか!」
空間と時間だ。
ところで、
わたしは数名の宇宙飛行士が、
宇宙空間に漂った時、
「悟り」の体験をしたことを
本で読んだことがあった。
なるほどなと思った。「ありえる」と。
というのは、
わたしは昔、
ヨガのインストラクターだったので、
よく瞑想をしていた。
そして、
現在の空間との一体感を味わったことがあった。
しかし、
天風哲学(=心身統一法)と出会い、
その方法の中でも特に密法といわれる
「安定打坐法」(あんじょうだざほう)を行った。
安定打坐法とは心身統一法の中で
中村天風先生が創見した独自の瞑想方法だ。
体験しないと分かりづらいものなので、
詳しい説明は省くが、
この瞑想での
意識の過程は次のようなものだ。
先ず、
通常の雑念妄念→有我一念→無我無念→無念無想→三昧境
という意識のプロセスを辿る。
中村天風師はこの境涯を
無声の境涯(むせいのきょうがい)と言った。
しーんとした音のない絶対静寂。
しじまの世界。
空の世界。
空とは無ではない。
ここは説明が長くなるので省く。
わたしは、この安定打坐法を行った時、
以下のような体験をした。
それは
「ああぁ、俺はこの世界から生まれて、
この世界に還っていくのか!」
「そうかぁ!」
という懐かしいような
瞬間のような
無限のような
宇宙との一体感を味わった。
私は至福感に包まれていた。
これは、わたしの非常に個人的な体験だ。
この体験を経てから、
少しずつ私の運命が変わってきたと思う。
「無声の境涯」
これは前述の
宇宙飛行士も近い同じ状況だと想像するに
かたくない。
宇宙の真空に漂う境地は、
かなり近いものがあるだろう。
精神性を有する人にとって、
その空間で何か感ずる、
あるいは
大いなることに気づくことがあると思う。
私は特定の宗教に入っていないので、
これが宗教的なものかどうかは分からないが、
境地としては近いかも知れない。
我々人間は小宇宙だという。
わたしは、
心身統一法の瞑想、安定打坐法を行った時に、
体験として深く実感した。
天風哲学では
「宇宙原則に即応して世の中の
進化と向上とを現実化することに努力する」
という、我ら人類に、与えられた使命があるという。
(中村天風著 『真人生之探究』)
要は、
少しでも自己の言行を世のため人のためになることを
日常生活で心がけるだけでいいと言う。
わたしは、
まだまだできていないところや課題も山積みだが、
空を見上げ、
宇宙に思いを馳せる時、
「よしっ、やるぞ!」という気力が自然に湧いてくる。
自分のライフワークである
VISION ART METHODと絵画、
そして
自分自身の生き方を通じて、
少しでも
「宇宙の意志」に近づこう。
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