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噓日記 6/24 空を飛ぶ何か

もしかしたら俺は今日、UFOを見てしまったのかもしれない。
生憎の雨が空をグレーに染め上げるものだから、憎々しげに天を睨んだその時だった。
鳥でもなければスーパーマンでもない、オレンジ色の、およそ空には似つかわしくない奇妙な光線が糸を引くように遠くの空へと進んでいく姿があるではないか。
人間は未知の何かに出会った時、その本性が表れるというのを今日改めて実感させられた。
俺はその光線の正体について何か当てはめられるものがないかと必死に頭の中で候補になるものをソートし、そして当てはまるものがないと分かった時にどうしようもなく怖くてたまらなくなった。
未知の存在に対する恐怖だけではない。
自分が過去の俺でいられないことが堪らなく怖かったのだ。
ただ何かが空を飛んでいる、それだけならなんともないのだ。
その物体が光線を放ち消えゆく様を見てしまったらもうだめなのだ。
俺の知らない得体の知れぬテクノロジーがこの世に存在する事実が受け入れなれなかった。
宇宙人を肯定するだとか否定するだとか話し合うことは、言ってみればポジショントークを楽しんで最終的に証明なんて出来やしないものだから結論がつかないままに有耶無耶になる娯楽の一つだと思っていた。
しかし、俺はそのポジションにおける一端を自分で確認してしまった。
だからもう俺は肯定の立場にしか立てない。
ずっと否定し続けてきたのにも関わらず。
宇宙人を信じるものは馬鹿だとか、肯定するものはまともな教育を受けていないだとか、親が悪いんだろうなだとか、ミステリーサークルは俺の爺ちゃん婆ちゃんがとち狂って作っただとか、信じる者は救われるかもしれないけどお前は本当に救えねーなだとか、濡らしたシミシミのメロンパンみてーな脳みそだとか、京に田舎あり宇宙に宇宙人なしだとか散々めちゃくちゃに肯定派をこき下ろしてきた過去の俺の言葉が全て返ってくる。
言うなれば宇宙人を観測した時点で俺が戦うべき相手は肯定派ではなく、否定派でもなく、過去の俺になってしまったのだ。
だから俺は過去の俺に言ってやるのだ。
宇宙人を信じないもの狭量だとか、否定するものは情操教育未履修だとか、先祖が宇宙人の墓を暴いてるだとか、親がオーパーツをしゃぶってから吐いた唾がお前だとか、信じない奴には訪れぬ新時代だとか、スカスカの塩パンみてーな骨密度だとか、国破れて山河ありレスバ破れて宇宙人ありだとか散々めちゃくちゃに過去の俺をこき下ろす。
争いは同じレベルのものの間で生まれるらしい。

どりゃあ!