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噓日記 5/12 夕闇の散歩者

「夜は出歩くな」
ガキの頃から大人は夜に出歩かなかったし、そんな周囲の雰囲気もあって夜に外出するなんて発想が子どもたちから出ることもなかった。
もはやこの村じゃあ不文律になっているというか、それだけ何か夜に対する畏れと不理解があったんだよ。
俺はそんな村で生まれて、そんな村で育った。
でもさ、あえて見てみたくなったんだよ、夜。
だから村の寄り合いに使ってる小さなプレハブ小屋に今日はずっと隠れてた。
周囲に人気がなくなってさ、外に出てみたんだよね。
夕方なのか夜なのか、大人たちはそれぞれの家に帰って村はシンとしてる。
空が徐々に深い藍色に落ちていく様を今日俺は初めて見た。
俺、もう19だぜ?
でも、その夜ってものを自分で観測したのは初めてだったんだよ。
漠然と畏れていた夜は実際に直面してみると想像していないくらいに綺麗だった。
夕焼けの紅い血潮のような空がだんだんと、深い藍、そして黒へとグラデーションで変化していくんだよ。
呆然と立ち尽くして、そのまま辺りが黒く染められていくのをただじっと待ってた。
そうしたらなんというか俺の体の外側の部分と、村の景色の内側の部分が曖昧になるっていうか、一緒になるような不思議な感覚がしたんだよね。
夜が一般的にそうなのか、初めて夜を知った俺だから感じた感覚なのかは分かんないけど、言いようもないくらい気持ちが良かった。
もうそんな記憶なんてないんだけど、なんだが母胎というか、子宮というか。
何か大きなものに包まれてるような、そんな安心感があったんだよね。
でもさ、だんだんとそれが息苦しくなってくんのよ。
だから俺、怖くなってさ。
家まで走って帰ったんだよ。
もう息も絶え絶えで喘ぐように息をしてさ、普段している呼吸から考えたら凄く浅いのよ、吸える空気の抵抗が。
陸なのに溺れかけるような感覚だったのかな。
そんでどうにか家まで着いてさ、中からしか閉められない真鍮で出来たネジ式の鍵を閉めたんだよね。
普段はこんな田舎だから鍵なんかしないんだけど、もう本当にいつのまにか。
呼吸が落ち着くまで、玄関に立ってたのよ。
そうしたらちょっとずつ呼吸が深くなってきて、普段のように息が吸えるようになったんだ。
チアノーゼ一歩手前の薄いブルーに変色した唇を玄関脇の鏡で確認した時は思わず笑ったよね。
初めての夜にビビって酸欠になる、村の外じゃあもっと笑われるんだろうな。
そんなことを思ってたら、鍵を閉めた扉がドンッて大きな音を鳴らすのよ。
思わずビクっと肩が跳ね上がったね。
そんでさ、扉を見てさ、分かったのよ。
大人が夜に外に出ない理由。
2メートルくらいある肌色の肉の塊。
明らかに人じゃない。
乳房が四対ついてて、それが力いっぱい扉に体当たりしてる。
こいつに見つかっちゃいけなかったんだわ。
多分、神様。
そんな気がする。
扉も古いからそう持たないと思う。
俺多分、明日の朝までこの世にいないからさ、最期に書いておくよ。
大人たちは夜に出歩かなかったんじゃない。
夜に出歩かなかったやつだけが、大人になったんだ。
この日記の最初に書いた通り、これを読んだ人に届きますように。
「夜は出歩

どりゃあ!