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噓日記 7/17 神の苦悩

人は死んだら21g軽くなると言われている。
それが魂の重みなのだというロマンチックな言葉がよく囁かれているのだが、私には自負がある。
私が死んだら多分46g軽くなる。
常人がマックナゲット1個分軽くなるのと比較して、ナゲットソースを追加した分くらい軽くなると予想している。
いうなればSサイズのゆで卵が私の魂の重みだ。
それは何故か?
それは魂の純度が他人よりずっと高いと私が私自身の魂に誇りと自負を持っているからだ。
幼い頃、山野を駆け巡るたびに私の道程には草花が生い茂り、その草花を求め昆虫が集い、その昆虫を求め動物が集い、その動物を求め人が集い、人が集うことで町が生まれる、そんな体験を何度もしてきた。
私を酷く大仰で尊大な言い方で敢えて表現するならば、命と生活を司るものであった。
私の行く道が荒れ果てていようとも私のあとには社会という大きなエコサイクル、つまるところ秩序が齎される。
安寧と秩序はいつだって私の後をついて回ったのだ。
私自身は童心のまま無秩序に世界へ繁栄を齎したが、秩序的に姿を変えるその様は面白さと一緒に気味の悪さを感じさせた。
それから無秩序に彷徨していた私も歳を重ね、自分という現人神の振る舞い方に不安を覚えた。
私は私が知らないモノ、出会えないモノに気付いてしまったのだ。
私は孤独を知らない。
私の行く後にエコサイクルが生まれてしまうが故に、私の周りにはいつだって草花や昆虫、動物、そして人がいたのだ。
私は生まれてから一度だって本当の意味で一人になれたことがない。
だから、世界中を回った。
私に孤独を齎してくれる何処かを探して、あらゆる場所を巡ってきたのだ。
そして、それが遂に今日終わった。
この世界のどこにも、私がたった一人の人間に戻れる場所なんてものは存在しなかった。
そして悟った。
私が一人になれるのは死を迎えるその時だけだと。
46gの魂だけになった時、私は真の意味でたった一人の人間へ帰ることができるのだ。
一足先に一人になろうかと思う。
一人は辛いらしいが、一人じゃないのも辛いのだ。
また次に生まれてくるときには、そのときはどうか当たり前の人間として生まれてきたいものだ。
余談だが世界中をめちゃくちゃに回ってしまったから世界中が大繁栄してるらしい。
世界人口も260億人を突破したとか。
めっちゃ食糧難になってる。
わろてまいますわ。
現人神様やぞ、こちとら。
頭が高いぞ。
オラ!
現人神様やからや!
現人神様やから魂46gあんねん!
現人神様やからや!

どりゃあ!