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噓日記 9/20 昔貰った褒め言葉

昔貰った褒め言葉がいつまでも胸の奥でひっかかって、消えることなく残り続ける。
もしかしたら、これを誇りというのかもしれない。
忘れもしない。
これは中学3年の頃の話だ。
当時の俺は全校生徒からの投票で当選した生徒会の役員で、まぁ自分で言うのもなんだが学校の人気者だった。
同級生から後輩までいろんなジャンルの人間から好意を持たれる人間であろうとしたし、少なからず好意を持たれている自覚もあった。
だが立場を与えられたとてやんちゃな性根の部分はそう変わることもなく、元来の負けず嫌いや目立ちたがり屋な部分が時折顔を出しては無茶なことをしでかすこともあり、生徒会役員の中で俺は特別な問題児でもあった。
そんなある日、まぁここには書けないがコソコソと繰り返していた小さな悪事が一気に四つほどバレた。
もちろん誰かの尊厳を破壊するだとか盗みを働くだとか、法が許さないことを行っていたわけでは無いのだが、俺の幼い正義感からはみ出たものについては面白半分に手を出しており、それらがその時、芋蔓式に取り沙汰された形だ。
それがまぁ立場ある人間からコロコロとこぼれ落ちた物だから教師たちが激怒するのも仕方のない話だろう。
関係各所に反省文を書いて周り、謹慎を食らい、生徒会室当面出禁とそこそこの処分を貰ったのを覚えている。
その中でも一番印象に残るのが反省文だ。
一週間で八名の教師に反省文十枚ずつを書いて回った。
それぞれ別の文面、別の切り口、別の反省を述べつつ、これからの生活態度、これからの魅せ方を原稿用紙に可能な限り埋め尽くし提出した。
最後に自らの担任に反省文を提出した時のことだ。
担任は好かれるタイプの教師ではなかったし、俺と相性がいいタイプでもなかった。
そんな彼が俺から反省文を受け取り、目を通して、口を開いた。
「お前の反省文は大人の書いた文章のようだ。今まで提出された全ての反省文を読んだが間違いなく全て良かった。大人が欲しがる文章を書く能力は間違いなくある。お前は人の心を分かってやれて、人のために文章を書く力がある」
今思えば多少嫌味も含まれているのかもしれないが、俺はその言葉が限りなく嬉しかった。
相性が悪い教師からこの言葉を引っ張り出せた自分の文章に誇りを持てた。
それは俺が書いた誰かに伝えるための文章が初めて誰かに伝わった瞬間だった。
それからは、いつだってこの褒め言葉を取り出しては、また胸の奥の同じ場所に戻して、また取り出して。
子供の頃の宝物と同じように、その輝きだけを何度も確かめてきた。
あれから何年だっただろうか。
俺は今、文章に関わる仕事をしている。
あの時の言葉はまだ胸の奥に残っている。
誇りはまだ俺の中で輝いている。

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