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嘘日記 3/29 愛情

自己評価だが私は他の人より愛情が深いと思っている。
それもそのはず愛着や執着する力が人一倍強いのだ。
小学生の頃に手に入れたシャープペンシルを20年以上使い続けているし、ビックリマンシールは新作が発売される度にコンプリートするまで満足できない。
そんな人間なのだ。
親からも幼い頃より私の持つ尋常ならざる愛情に苦言を呈されてきた。
「悲しい男よ、誰よりも愛深きが故に」
丁度サウザーと同じことを言われた。
ちなみに私も内臓逆位のためケンシロウに一矢報いることができる可能性が残っていることは親にも内緒にしている。
しかし、愛情とは不思議な物だ。
人を愛することも、恋に落ちることも誰かに教えて貰った覚えがない。
しかし、人はいつの間にか何かを愛し、誰かと恋に落ちるのだ。
もちろん、ラブストーリーなどを無意識のうちに見て何かを感じ入っていた、なんてことがあるかもしれないがそれは単なる作中の主人公の追体験であり、自分の中の感情を理解することにはならない。
それは本当の意味で愛を教えられたわけではないのだ。
しかし、我々は誰かに教わるでもなく自分だけでその正解を確信できる、そんな能力を元々持っている。
そして、そんな自分の好きだという気持ちを、愛であると理解できる。
その程度は人により異なるだろうが人は何かに対して慈しみの気持ちを持つことを本来の機能として備えているのだ。
もしこの気持ちがないならば、道行く人をぶん殴っても、捨て猫を蹴飛ばしても、なんとも思わないだろう。
私は私に、何かを愛する、そんな機構があって良かったとつくづく思う。
何かを愛するとき、私はしばしば自分というものに足りていないパーツを探しているような、そんな気持ちになる。
そしてそのパーツが手に入ったとき、初めて自分が完全になったかのようなカタルシスに溺れるのだ。
言わば窒息に近い形で、私のその愛に飲み込まれ、飲み込み、一つとなるのだ。
そして今の私に足りていないのはただ一つ。
小学生の頃に一目惚れをしたアイちゃん。
前述のシャープペンシルも彼女から貰った物だった。
そしてビックリマンシールも彼女がヘラクライストが好きだと言った翌日から買い始めたものだ。
私の愛は全て、アイちゃんに由来している。
そして、そのアイちゃんへの愛情が今、完全を求めて拍動をやめないのだ。
出会ってもはや四半世紀と時が経とうとしているが、彼女への執着は薄れない。
アイちゃん、
飲み込まれよう。
飲み込もう。
一つになろう。
これが僕のアイ情。
あぁ、異常だ。

どりゃあ!