見出し画像

噓日記 6/30 お供え物の最適解

祖母が亡くなってもう十年は経とうかという年になった。
当時は学生だった私もいつのまにか社会の荒波に揉まれ、眉間には深い三本の皺を湛えている。
ヒアルロン酸でも注射すれば幾らか人相は良くなるだろうが、働く業界故に若さで勝負できるものでもなくどこかにやり手な雰囲気を纏わねばならない。
祖母が亡くなる前に愛想良く、いつも笑顔でと私に口酸っぱく言っていた言葉が、皮肉にも今の私の生き方の反対を示している。
年上の部下に舐められないようにぶっきらぼうで、社外の人間に舐められないように、よくあるカリスマ性のアイコンを纏ってどうにか空っぽの自分を隠して生きている。
金曜の夜はそんな私が唯一、学生時代、私がまだ私のままでいることが許された時代に少しだけ帰れる気がする。
祖母が言っていた言葉を反芻しながら鏡を見つめ、誰に言うでもなく口から溢れるように謝罪の言葉が漏れる。
それは祖母に宛てたものなのか、それとも本当の私に宛てたものなのか、自分でも咀嚼しきれないままに止めどなく溢れる言葉を金曜の夜に置き去りにする。
ごめんな、涙だって自然と溢れる。
そんな私にとってかけがえのない祖母が亡くなったのは暑い七月のことだった。
終末医療の最後、私の手を握る腕の力は電源が落ちたかのようにストンと抜けていった。
祖母の魂が、そこに込められていた力ごと抜け落ちたようで私は最後に人の生きる様、そして人の死ぬ様までを祖母に指し示して貰ったようだった。
その祖母の命日が目前に控えている。
丁度、来週末ということもあって、実家の仏壇にでも手を合わせてやりに行こう。
今の私の姿を見ると祖母はきっと怒るだろうな。
だが、祖母に見せてやりたい。
私は私なりに生きるのだというファイティングポーズを。
この三本の皺は、祈るように自分を殺し、何者かを演じて生きることへの決意の証であると。
さて、手ぶらで行くのもなんなのでお供え物でも用意しよう。
祖母が好きだったお菓子なんかはきっと私の兄弟が買って行くだろうし、きっと地獄で食べ飽きている頃だろう。
たまには趣向を凝らしたもので地獄にいる祖母をびっくりさせてやりたいものだ。
祖母といえば、戦時中に生まれ、物に困った時代を生き抜いた女性だ。
彼女の生涯を見通せば、根底に貧しさが窺える。
それは金銭的な物でもあり、衣食住に関わる物でもあり、そして心の豊かさにも関わる物であった。
そこから鑑みて私のお供え物は決まった。
祖母の命日、私はスマートフォンを持って行く。
仏壇に海外の反応の動画を見せてやるのだ。
大丈夫、私もすぐ地獄に落ちる。

どりゃあ!