見出し画像

噓日記 7/20 童心を取り戻す作業

大人になるたびに何かを諦めることに慣れてしまう。
子どもの頃に悔しくて泣いていたことだって、今はグッと飲み込んで表面上だけ笑って見せられる。
それを強さというのか、それとも弱さというのか、私には分からない。
ただ、自分の思うままに笑い、自分の思うままに泣けたあの時の私は今よりもずっと何かを諦めなかった。
何かに挑み続ける気概とそれをやり抜く負けん気があった。
それらが今の私には足りていない。
諦め慣れた私は同じように負けることに慣れて、何かを切り捨てて自分という殻を必死に守っている。
それらがあればまだ私はもっと戦える。
もう一度戦いたい、そう誓って拳を握り始めたのは今年になってからだ。
失ったそれらを取り戻すため、正しくは私の童心を取り戻すためのルーティンがある。
それは何か他者の強さを確認することだ。
感情移入しやすい何かだとなおのこと良い。
例で挙げれば動画配信サイトでカブトムシを戦わせる動画を見るのだ。
小さな国産カブトムシが体の大きな外国産カブトムシを華麗に投げ飛ばす姿は私に勇気を与えてくれる。
技ありとしか言いようのない小さな体から繰り出される一閃はそれはもう一言に形容できないカタルシスがある。
他にもまだ強さを確認する作業がある。
昆虫異種格闘を見るのだ。
子どもの頃の憧れであった国産昆虫たちが自然界ではなかなか見られないマッチアップで、強敵たちをバッタバッタと薙ぎ倒していく様は当時の憧れをまた同じように照らしてくれる。
あの日の輝きを正当化してくれるような優しさがある。
もしかすると私が国産を応援するのは、生まれという変え難いパーソナリティーに感情移入しているのかもしれない。
他にもまだ強さを確認する作業がある。
昔好きだったコミックの脇役キャラの強さランキングをネットで調べるのだ。
最強ではない、ただ作中上位の実力者であることを確認してそれだけファンがいて応援しがいがあることを再認識する。
当時ではなかなかできなかったが通販サイトで単独のグッズが出ていたりするとそれも買って飾る。
これが一番感情移入しやすいかもしれない。
キャラクターに自分を重ね、最強ではないが強い方であるという自尊心を満たしているのかもしれない。
ここまで書いて思ったが私のこの作業は童心を取り戻すものとは乖離しているのかもしれない。
日々ですり減らしたパーソナリティーへの不理解や自尊心に対するフラストレーションを他者に依存して晴らしているようにも見える。
私は大人のまま、子どもには戻れない。
きっと足りないものを知り続け、諦めを知り続け、私は私を忘れるまで生きるのだ。

どりゃあ!