【so.】郷 義弓［2時間目］

　井上さんが出て行ってしまって、教室には私ひとりが残っている。整然と並んだ机と椅子で作られる格子の無機質さからは、とても10分前まで全ての席に生徒が座っていたような痕跡は感じられない。
　チャイムが鳴って、2時間目の開始を識る。生物室で生物の実験らしいけれど、気乗りしない。そして相変わらず眠い。だから私は席を立つことが出来ないでいる。私ってこんなに不真面目な生徒だったっけ。すごく覚えているのは一度だけ、ヨシミちゃんにそそのかされて午後の授業を一緒にサボって、駅前のカフェに行ったことがあった。大学の授業が午後にないからって理由でやって来た、ヨシミちゃんの彼氏と会ったんだ。ヨシミちゃんは嬉しそうに紹介してくれたけど、なんだかチャラい男の人だなと思った。直感で、長続きしないだろうなって思ったけど、ヨシミちゃんが嬉しそうだったから言えなかった。ヨシミちゃんは、クリスマス前に1日たっぷりデートすることを、ずっと楽しみだと語っていた。そういえばどうだったか聞いたんだったっけ？　もう1月になっているんだよね…。
　眠いのもそうだけど、忘れっぽいのも困る。自分がそういう性質を持っていた自覚はないし、困った覚えもなかったから、突然そういう障害が発現したんだろうか。一度、脳神経科とかで診てもらおうか。
　座ったまんま、ずっと考え事を続けていたけれど、ふっと視線を右へやった廊下の向こうの方で、私服の誰かが立ち止まってこちらの様子を窺っている。私が席を立って廊下へと近づいたら、その子はじりじりと後ずさると、素早く駆けて行ってしまった。なんだか見覚えのある子だなと思った。誰だっけ？
　私はぶらぶら教卓へ歩いていき、黒板を眺めてみる。さっきの現代文で、逸見先生が強く書いた字を黒板消しで雑に消した跡が残っている。綺麗に消してあげようかなと思って黒板消しを手にしようとしたんだけど、何故だかうまく掴めないからやめた。
　出るべき授業に出ない時間の甘美な居心地。3時間目は体育だけれど、これも体調が悪いとか理由つけて休んじゃおうか。4時間目は美術だけど、これだって休んでしまえばずっと教室に居たっていい。教室の壁に貼られた時間割表を眺めながら、火曜日は移動授業が多いなとあらためて思った。

「ふわあああああ」

　また、あくび。そうだ、細川さんだ、さっきの私服の子。高等部になって編入してきて、だけどすぐに不登校になっちゃった子だ。たまきちゃんやサエさんは仲が良かったらしいけれど、私は話したことはなかった。学校の外で会った時の写真を見せてくれた時に、たまーに彼女の姿が写っていたんだ。不登校になったのはナオちゃんがいじめたからって噂があったけど、それが正しいのかどうなのかは知らない。復学するつもりなんだろうか。

　どうも少しずつ頭がしゃっきりしてくる感覚がある。そして昔のことほど思い出しやすい。短期記憶に問題があるのか、この数日、数週の間のことがあんまり思い出せない。日常生活に支障を来すくらいだからやっぱり今度の週末にでも病院へ行こう。より良い人生、より良い生活。私の決めたモットーとは、少しかけ離れた状態に陥っているのだから。

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