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【so.】井上 真[2時間目]

「ありがと。行ってて」

「うん」

 軽く言葉を交わして郷さんと別れたわたしは教室を出た。ちょうど堀川さんが廊下のロッカーを閉めている所だった。

「まこと、何か話してたの?」

「えっ、なんにも」

「そ。じゃ、行こう」

 わたしは堀川さんと並んで生物室へと歩き出した。

「まことは進路決めたの?」

「や、なんにも」

「4月から3年生でしょ? そろそろ決めなきゃ。まことはボーッとしてるから心配」

 わたしは堀川さんが苦手だ。わたしのことを下の名前で呼んでくるのは、それだけ親しみを持ってくれているんだろうけど、わたしはそれほどの好意をこの人に持っていない。下の名前を呼んでくれるのに苗字で呼ぶわけにもいかず、かといって下の名前やあだ名で呼ぶほどじゃない。だから私にとっての堀川さんは、名前で呼びかけられない程度の間柄だった。


「はい。じゃあ今日はメダカの血流の観察をしますねぇ」

 生物の島田先生はもう定年間近のおじいさん先生で、物腰は柔らかく、平坦にぼそぼそ喋るし怒ったりすることもないので、簡単に言えばみんなからナメられていた。生物室では誰かの話し声も聞こえてくる。
 各テーブル1つ、先生から小さなビニール袋が配られた。わたしが袋の中にいるメダカの尾ひれを顕微鏡の台の上に乗せると、左隣の伊村さんが顕微鏡を覗き込み、メダカの位置を変えたりダイヤルを回したりしている。その向かいに座る和泉さんは、両肘をついて両手で掲げたスマホをいじり続けている。

「見えたよ」

「見して」

 わたしの向かいに座るつぐちゃんが、身を乗り出してきて顕微鏡を覗き込んだ。

「すごーい。どくどく動いてる。気持ち悪ーい」

 つぐちゃんはしばらく見ていたが、顔を上げるとこちらへ顕微鏡を向けてきた。

「まこちんも見て」

 目の前の顕微鏡を覗き込むと、半透明の繊維のようなものが同じ方向に走っていて、その中をグレーの小さな丸みたいなものが、上りと下りに分かれて動き続けていた。

「はい。見えましたかぁ? 見えないテーブルは、他のテーブルの人に手伝ってもらってくださいねぇ。見えたテーブルは、観察した絵をプリントに書いて、観察結果も書いてくださいねぇ」

 そして先生がゆったりとテーブルの前まで来て、右手の指をぺろりと舐めると、プリントを4枚めくって渡してきた。先生の指が当たった所を避けながら、私は同じテーブルの3人にそれを配った。
 ノートと教科書と資料集を広げて何やらせっせと書いていた伊村さんは、プリントを受け取り書き込み始めた。私は顕微鏡を覗いては絵を書いてみた。

「まこちん下手~」

 つぐちゃんはニコニコ笑いながら私のプリントを見ている。

「こういうの苦手なのー」

 2人でけらけら笑っていると、伊村さんが出来上がったプリントをつぐちゃんに渡した。

「見ていいよ。まこちんも見る?」

「あ、ありがと」

 頭のいい伊村さんは、わたしとつぐちゃんと弓道部員同士というよしみかプリントを写させてくれるので、役得だなと班に分かれる度に思った。

「つぐー、見して~」

 和泉さんが、写したつぐちゃんのプリントをさらに写すという毎回お決まりのパターン。果たして何を感じているんだろうなと、伊村さんの表情の読み取れない横顔を窺いながら、そう思った。

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