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【so.】佐伯 則佳[4時間目]

 何食わぬ顔で教室へ戻ったけれど、心臓は絶えず速い鼓動を打っていた。私は自分の席へ戻り、さっきすり替えた部長の制服へそっと袖を通した。普段着ているのと材質的には変わらないのに、なんとも幸せな感情に包まれた。ブラウスのボタンを一つ一つ留めながら、私はとろけそうな胸の熱さにくらくらした。いま、私は部長の着ていたものを着ることで、部長と一体化していっている、そんな倒錯的な妄想が頭の中を満たしていくと、マグマのような幸福が四肢の先へと行き渡っていく思いがした。私は部長より僅かに身長が低いくらいだったから、制服は問題なく着ることが出来た。噛みしめるようにゆっくりと着替え終えた時、近づいてきた部長から声をかけられた。

「次、美術だよね。行こうか」

「う、うん」

 卒倒しそうなくらい驚いて、慌てて筆記用具を机から取り出したら、上手く掴めなかった数本の鉛筆がバラバラと音を立てて散らばった。部長は滑らかな動作でそれを拾って渡してくれた。「ありがとう」の一言を、声になったのかならなかったのか、判断つかないくらいに小さくしか出せなかった。ああ、私はこの人になんてことをしてしまったんだろう。そう思うと、惨めさで溶けて消えてしまいたくなった。

 部長と並んで廊下を歩き、美術室まで向かう。階段の踊場に貼ってある鏡に写る、私と部長の足元。揺れるスカートのプリーツは、さっきまで私の歩幅で揺れていた。それを意識すると、後ろめたい気持ちが暖かい感情と一緒に湧いて出てきた。

「今日は人物デッサンをしよう」

 美術室では美術の宮原先生が田口さんをモデルに指名して、みんなで10分間デッサンをすることになった。美術室の真ん中でポーズをきめる田口さんの周りを、みんなは好きに場所を決めてそこから描く。私は田口さんの前方に立って、彼女を挟んで対角線状に位置している部長のデッサンを描いていた。真剣にデッサンを続けるその立ち姿の美しさを、私は丹念に写しとっていく。

「じゃあ、ジンさんよろ~」

 10分が過ぎると田口さんは部長をモデルに指名した。私は部長の真横に立ち、美しい鼻梁を何度も何度も描き写した。それから唇、顎のライン、首筋のライン、私のものだった制服…。

 10分経過のタイマーが鳴って、休憩時間が訪れた。

「次、モデル頼んでもいい?」

 部長に声をかけられて、慌てて自分のデッサンを隠した。部長は何か言いたげだったけれど、やって来た和泉さんに話しかけられ、ずっと話をしていた。

 休憩時間が終わると、努めて冷静を装って、教室の真ん中でポーズを取った。さらさらと紙を滑る鉛筆の音の中心で、10分間同じポーズで立っているのはものすごく恥ずかしい。私の斜め前に立った部長の姿がちらちらと視界を出入りするように見えて、その度に心がざわめいた。10分が過ぎて、細田さんにモデルをお願いすると、私はなるべく教室の角の方へ立って、ひっそりと部長の姿を描き写していた。
 最初は部長のことをもっと知りたいと思った。そのうちに部長のようになりたいと思った。そこで部長のロッカーへ、匿名のラブレターを書いて入れたことがあった。もう去年のことだ。部長がどんな反応を示すのか興味があったし、ひょっとして自分は恋をしているのかもしれないと思ったからだ。それで後輩を装った内容を書いた。気味悪がって捨てられてしまうだろうと思っていたけれど、部長は「直接言ってもらうまで何もできないよ」と笑って、そのラブレターを丁寧に自分のカバンへとしまった。マルちゃんと2人で囃しながら、そんな部長の態度が眩しく思えて、それ以上踏み込むのは避けていた。
 けれど日増しに部長と深く交じり合いたいと願うようになって、ついにさっき私は自分の欲望に従って行動した。行動したことで、何が変わった? 行動することで、100%の満足を得られると思っていた。実際に得られたのは、30%の満足と、70%の後悔だった。行動って、こんな行動ではなかったんだ。私の本当に得たいものは得られていないままだ。行動で示すというのは、こんなことではないんだ。

「行動で示す」

 私はデッサン用紙の隅に力強く書き入れた。


 もう一度あの書き込みを見てみたい。自分自身に活を入れたい。授業が終わって、細田さんに聞いてみようかと思ったけれど、田口さんとなにか言い合いみたいなことをしているから、近づくのをやめた。ネットの書き込みっぽいなと思ったから調べてみたら、それらしい掲示板が出てきたから開いてみた。

「グダグダ言ってねーで行動で示せよ!口だけヤロー」

 これだ。どういう意図で書き込まれたのか分からないけれど、私自身に言われたんだと思おう。そう思いながら画面をスクロールすると、無関係の書き込みの後、最後にひとつの書き込みがあった。

「やってやるやってやるやってやるよ見とけよ」

 こわい。気味が悪い。誰がこんなことを書き込んだんだろう。スマホの画面を閉じて渡り廊下へ差し掛かると、大きな悲鳴が響き渡った。

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