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【so.】伊村 正乃[1時間目]

「伊村氏! そ、それは、ひょっとして、mPlate proでは!?」

 気味の悪い声にぎょっとして顔を上げると、猫背の荘司直音がぐふふと笑っている。最近発売されたスタイラス付タブレットを、なるべく周りに気付かれないよう教科書やノートに隠して持ち歩いてこっそりと使用していたつもりだったが、よもやこんな奴に気付かれるとは。だが考えてみればクラスの最下層にギークが混じっていても何ら不思議はない。下手に隠すよりも教えてやった方がこの場は得策と思いノートを少しズラして見せてやった。

「荘司さん、内緒にしてね」

「はっ、仕った」

 歴史オタクなのか知らないが発言の端々が腐臭を放っていて汚らわしい。

「皆、モガベーだとかFILOしかやらないなんて、デジタルガジェットのスペックを活かしきれていないのが嘆かわしいですよ、分かってもらえるか伊村氏!」

「確かに」

 1秒でも早くこの一方的で不毛な収穫の無い会話を終わらせたいので、僕はキャッチボールをひたすら落球する事に意識を向けた。

「荘司さんはFILOやらないの?」

 この手の輩がSNSをやる社交性も友達も持っている訳がないのを承知でぶち込んだのは、こういう攻撃が効果的だと知っていたからだ。

「わ、わたしには必要ないノデッ」

「そうだね」

 ホームルームが終わってすぐに1時間目が始まろうとしているのに荘司直音には立ち去る気配が見えない。オタクが己の得意分野の知識をひけらかせる場においての空気の読めなさは感嘆に値するな。これを機に仲間と思い込まれて度々衝突事故を起こされたら堪ったものではない。僕の限りある時間がこんな美しくない生物に奪われるなんて許されたものではない。

 からりとドアを開けて入ってきた教師の逸見に向けてわざとらしいほど視線を向け続けると、やっと休み時間が終わりだと気がついた荘司直音は口惜しそうに去っていった。

「おはよう!」

 過剰なボリュームで始まった現代文は、今学期から梶井基次郎の檸檬を扱うようだ。

「じゃあまず誰かに読んでもらおう。今日は12日だから…12番の神保」

 窓際左前から2番目、スラリと立ち上がったのはバスケ部の部長に選ばれたらしい神保昌世。ボーイッシュなショートカットで背が高く勉強もできる才色兼備な部長、とくれば後輩から熱烈な人気を得ても不思議ではない。彼女のロッカーにラブレターが入れられているのが見つかり、クラスでちょっとした騒ぎになった事もあった。非の打ち所のない人物だが僕に言わせれば清流に棲むニジマスといった感じで、汚れを知らないあまちゃんだ。
 何を基準にするかでも変わってくるが、このクラスは5つ程度の階層に分かれている。神保昌世の属するグループA1、その取り巻きや運動部で形成されるグループA2、文化部と運動部の入り混じったグループB1、そこから少しおとなしめなグループB2、荘司直音はグループCだが、グループと呼べるほどの人数がいない。
 僕はグループB1に属している。誰も口にはしないし合意があったわけでもない。だが確実に、このクラスには気候区分のように目に見えないグループが存在していて、離れたグループほど交わることはない。ただ一点の例外を除いて。僕はノートをズラし、裏サイトの書き込みを表示させた。

「面談なに聞かれた?」

「なんで面談なんてやんの?」

「終業式のアレでしょ」

「アレってなに?」

「しらばっくれたって無駄なんだよ。全部わかってんだからな。覚悟しとけよ」

「グダグダ言ってねーで行動で示せよ!口だけヤロー」

 誰だ。いったい誰がここの存在を知っていて書き込んでいるんだ。教室には次に当てられた埋田寿恵の朗読する声だけが響いている。

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