見出し画像

【so.】郷 義弓[1時間目]

 眠くて眠くてたまらない。先月くらいからずっと眠い。あまりに眠くて寝すぎたら、起きていても眠くてたまらなくなってしまった。寝てるのか起きてるのかもよく分からないくらいで、年明けもなんだかよく分からないうちに年号がひとつ増えていた。
 一日中こんな具合だから、当然授業にも身が入らない。出欠で自分の名前が呼ばれたのかも返事をしたのかも全然分からない。成長期か思春期のせいか、私をこんな眠気に誘い込むのは何のせいなんだろう。
 伸びをしながらあくびをすると、たまきちゃんが手ぶらで出て行くのが見えた。みんなは荷物をガサゴソやっている。私の座る最後列の真ん中の席は、クラスの様子がよく見える。カラリとドアを開け入って来た逸見先生を見て、現代文かと理解した。

「おはよう!」

 演劇部の顧問だけあって声が大きい。演劇部員の私もこんなに腹から声を出すのは難しい。
 そして先生はチョークでがりがりと黒板に書き始めた。前に1時間で何本のチョークを折ってしまうのか記録した事があったけれど、毎回平均3本のチョークが犠牲になっている事がわかった。可哀想なチョークたち。今日は何本が犠牲になるのだろう。
 あくびを一つ。どうしたってこうしたって眠いので机に突っ伏してしまった。逸見先生の大きな声は、演劇部の練習を思い出させる。演劇青年だったらしい先生は、それはそれは熱心な指導で新入部員を辞めさせてきた。そのしごきに耐え抜いた事は私の自信になったし、将来の夢を見つけることもできた。夢。憧れの海外。私の思考は空を飛ぶ。

 ロンドンの劇場の舞台の上を、スポットライトが差している。そこへ登場する私。何か言葉を発すると、それは日本語だけれど観客には伝わっている。一人の男性が登場する。顔は見えないがカッコいいのは感覚でわかる。私に何かを言い、私はそれに言葉を返す。喝采を浴びる私達。

「………からね」

 何かを言われたようで驚いて顔を上げると、机の脇にたまきちゃんが立って怖い顔でこちらを見下ろしていた。私はいつの間にやらまた寝ていたらしい。起こしてくれたんだ、ありがとう、と言う間もなく、たまきちゃんは大和さんの所へ行って何かを伝え、自分の席へと帰っていった。大和さんが教室を出て行ったのを見て、ああ三条先生がホームルームで何か言ってたなあと思い出した。
 それにしても私、考え事をしていたと思ったら眠りに入っているなんて、よっぽどだな。何だっけ、エクトプラズムみたいなごにょごにょした語感のやつ。ニャルラト…ちがう、アメンホテ…ちがう、ナルコレプシーだ。それなのかな。
 まぶたがストンと落ちてくる。頭が重くてたまらない。だから机に頭を置くしかなくて、そうするともう体がリラックスを始めてしまう。

「ではこの時主人公は何を思ったか? じゃあ、岡崎、分かるか?」

 逸見先生の大きな声。そんなもの、主人公にしか分かりませーん。演じてみないと分かりませーん。
 いろんな人物になれる、いろんな考え方を体験できる、そんな所が、私が演劇を好きな所。舞台はニューヨークのブロードウェイ。ロングドレスを身にまとった私。ムードのあるジャズピアノの旋律を頼りに、しずしずと舞台の中央に歩いていく。顔を上げ、満員の客席の奥にかすかに見える重いドアに向けて精一杯の声量で

「次、生物室だよ?」

 えっ。顔を上げると井上さんがはにかみながらこちらを見下ろしていた。見回したらとっくに授業は終わっていて、クラスはがらんとしていた。

「ありがと。行ってて」

「うん」

 井上さんは生物室へ行ってしまった。クラスにはもう誰もいない。

次の時間

前の時間


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?