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エディターコース「書く人あれば読む人あり」~エディター目線の大切さ~

※〈エディターコース〉メンバー向けの限定記事です
※メンバーでない方も途中までお読みいただけます

先月はエッセイ講座がちょうど各コースとも休講だったために、日曜といえど記事2本立てでお送りしたが、今月から講座再開で3本立てに復帰。
うむむ、がむばらねば。

今回はエディター目線で文章を見るという話。

このメンバーシップはエディター(編集者)ではなくライター(執筆者)を目指されている方が多いはずなのに、なにゆえ〈エディターコース〉か。
その理由は以前も書いたことがあるが、エディター目線を持ったライターは最強だと思うからだ。

ライターの仕事は書くこと。
そこに異論を挟む人はいないだろう。
それは僕も同じ。

でも本当に書くだけでいいのだろうか。

書いた文章はもちろん読まれるために書いたはずだ。
なのに、どう読まれるかは気にしなくていい?

たとえば前衛芸術的な、理解できる人だけ理解できればいいという文章であれば、どう読まれるかなんて気にする必要はないだろう。
でも、そうでもなければ、そこはやっぱり気にしてほしい。
だからこそこの記事のタイトルは「書く人あれば読む人あり」なのだ。

文章を読むプロ、それがエディター。
ライターの書いた文章を第一読者として客観的に読む存在だ。
ここはいい、ここは意味が分かりにくい、ここはなくてもいいのでは?
エディターのそんな指摘を元にライターは文章の修正を繰り返す。
結果として、読みやすい文章に仕上がることになる。

なら、ライターがエディター目線を持っていたらどう?
書き上げた文章を客観的な目で読み返してみるのだ。
ここは意味分かりにくくない? この部分って必要? 主語は誰?
慣れてきたら一文書くごとに、主語OK? 修飾語の位置OK? 読みやすい?などと瞬時に見て修正することが可能になる。
冒頭に書いた「エディター目線を持ったライターは最強」という意味、ご理解いただけるのではないだろうか。

たとえば僕がよくやってしまうのが、副詞を先にポンと置いてしまうもの。
一例を挙げると、「そろそろ疲れたので帰ろう」という文を書きがち。
正しくは「疲れたのでそろそろ帰ろう」なのだが、時間経過を表す副詞「そろそろ」をまず言っておきたいという癖があるらしく、つい「そろそろ」から書きはじめてしまうのだ。
「そろそろ」は「帰ろう」に係るので、できるだけそちらに近い位置に移すのが鉄則。

話は逸れるが、「そろそろ疲れてきたので帰ろう」なら問題はない。
「そろそろ」は未完の動詞「疲れてきた」(まだ疲れきってはいない)に係ることはできるが、完了の動詞「疲れた」に係ることができないためだ。

さて、ここで課題。

次の文を読んで、どこが読みにくいか(あるいはどこがおかしいか)、どう修正すれば読みやすくなるかを答えてほしい。

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172字

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