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雪山に紡ぐセーター 8

ホッピーってなんやねん。

「ビーフをグリル」みたいな感じの店に入り、最初の注文で「ホッピー」と言った彼に全力で突っ込んだ。ビーフで、しかもグリルな店に来たら一杯目はビールと決まっている。これは、かの聖徳太子が制定した17条憲法にも書かれている普遍の決まりだ。

100歩譲っても赤ワインだろう。
ビーフに赤ワインは傷を回復するのに最適だとビスケット=オリバが言っていた。店のメニューにも赤ワインがオススメと書かれている。

しかし、ホッピーとはなんだ。

大阪出身の自分にはホッピーはなじみがなかった。大阪でもたまにホッピーを置いてる店はあるが、メニューの片隅に、仕方なしの数合わせで入っているような雰囲気しかない。大阪では初手からホッピーを頼むような傾奇者は見たことがなかった。
ところが、東京に来て居酒屋に入ると、ホッピーがおいてあり、なおかつ主力打者的な位置づけにされている。
少し気にはなっていたが、どうしても「ビールを薄めた飲み物」のようなイメージがあり、注文する気にはなれなかった。
それを目の前で威風堂々と注文している男がいる。
ホッピーよりはヒッピー。ヒッピーながらにハッピー。
そんなキャッチフレーズを付けたくなった。

人の心配も知らず、ハッピーにホッピーを飲んでいる男がいる。
自分も飲みすぎて頭がハッピーになる前に話をしなければならない。
今日は真剣な話をしにきたのだ。
カバンのジッパーを開いて紙袋を取り出した。

「これを持っておきなさい」
ドラクエのスタート地点で勇者に100ゴールドを渡す王様のような顔をして紙袋を渡した。
中には
 ・シルバーコンパス
 ・書籍「遭難」
 ・エマージェンシーシート(アルミの寝袋みたいなやつ)
3点セット×2が入っている。

おー、コンパスだーカッコいー。などと言いながら無邪気にコンパスの箱を開き、いじり出した。

「山に行くのはいいんやけど。山って危ないのよ。死ぬ可能性があるねん。」
「2人で雪山に行くのは素晴らしいことだ。おれもうれしいんやけど、君ら、こういう装備は持ってないやろ。」
「ちょっと道に迷った時とか、コンパスと地図が無いとどうしようもなくなるから。絶対に持って行くんやで。」
「おれがきっかけで山登りを始めた人が遭難したら、自分が責任感じるやん。山に誘わんかったらよかった。登山技術をもう少し教えておけばよかった。って後悔するやん。」

「君たちも、恨みに思うやろ。滑落して遭難して、水も食料も無く、手足の1,2本も折れて身動き取れなくなって干からびていく過程で「もとはといえば、あいつが山登りに誘うからこんなことになったんだー。あいつが、山登りのきっかけを作らなければこんなことにならなかったのに―。呪ってやるー」ってなって、俺のところに呪霊になって出てこられたら、おれも領域展開とかするしかないやん。」

「そうならないためにも、最低限、自分が教えられることは教えておこう。と思ったのよ」

僕は、説教くさく語った。

彼らにできる限りの遭難回避策を教えた。
2人で登山する時には、共用の荷物を分散させる。この時、多少非効率になっても、お互いがバランスよく分担した方が良い。例えば、テント担当・食料担当という分け方をしてしまうと、遭難し、お互いがはぐれてしまった時に食料しかもっていない、テントしかもっていないということになる。
本当は1人1個ずつツェルトを持つのがいいのだろうけど、それはちょっと許してもらって、テント本体とフライシートを分けて持つくらいの対策で。

食料は、登山工程+1泊2日くらいはできる量を持って行く。チョコとかカロリーメイトなど、重さの割には腹の足しになるので荷物の隙間に詰め込んでおく。

そして、コンパスだ。

「コンパスを回すんだ」

祖父江くんは手に持ったコンパスをクルクル回しだした。

「違う。ここを回すんだ」

コンパスの輪っかの部分を回した。

「なにこれ?何で回るの?」
「これが、シルバーコンパスだ。」
「回るのは意味があるの?」
「大いに意味がある。」
「磁北線てのがあって、コンパスの針が指す北方向と本当の北方向には若干の違いがあるんやけど、シルバーコンパスはそれを調整しつつ目的地への方向を示すことができるんや。そのために、クルクル回るようになってるの。まあ、ちゃんとした使い方はまた教えるわ。」
「ふーん」

「登山道に沿って進めば安心だと思っていると思うけど。登山道にも分かれ道があって、古い登山道に行ってしまって道が無くなったりするんやで」
「知ってる、そういう時は引き返す。」
「それはな、頭ではわかってるけど、遭難したら冷静に考えて動かれへんねん。もう少し進んだら正しい道に合流するんじゃないかとか思って、どんどん前に進んでしまうんやで」
「まず、仮に間違った道に入ったとしても、間違ってると気づくのに時間がかかるやろ。その時点で1~2時間歩いてたりする。何となく間違ってるんじゃないか・・・?と思っても、間違えているという確証が持てなくて、もう少し歩いたら山小屋に到着するんじゃないかと思って歩いてしまうねん。」
「ほんで、いよいよ間違えてるとわかったとしても、戻り道がよくわからなくなっている。そして、人の心理として「ここまで来たら戻れない」と思ってしまうねん。」
「ほんでグイグイ進んでしまう。」

「ギャンブルで負けたら、ギャンブルで取り返そうと思って、どんどん深みにはまるのと同じだね」

「そう!まさにそう!」

「で、次にどうなるかというと、川沿いに山を下り出す。」
「それはダメなの?」
「ダメ、ぜったい。ダメ」
「これもまた、人の心理として水があったら何となく安心するし、水が流れる方向に歩いていったら間違いなく下には降りるわけやから。これをたどっていけば下山できると思うのよ。」
「それでいいじゃん。」
「そこに罠があるねん!! ずっと川に沿って道があればいいんやけど、たいていの場合は道がなくなって、川沿いの岩場みたいなところを歩くことになるんや。
そのまま切り立った崖の間の水路のようになったり、滝になったりする。川がそのまま山の下までおだやかでなだらかな川であることは無いんよ。」

「それはヤバイね」

「そこでどうするか。滝になっていたとしても、そこを下ろうと思ってしまうのよ。」
「ナイアガラみたいなストーンと落ちる滝はめったに無くて、岩でゴツゴツの斜面を川が流れているみたいな感じになるのね。となると、ロッククライミング的な動きで降りれる気になるのよね。」
「でも、いざ岩を降りていくと、思ったより斜面が急で、安定した岩場も無く、手で岩をつかもうとしても、濡れていてグリップが効かない。引き返そうと思った時にはもう遅い、登ることも下ることもできなくなって、しがみついている間に体力が尽きて崖の下まで落ちてしまう。。。。」

「うひょー。怖いねえ」
「そやろ。怖いやろ。山なんて登るもんやないで。やめた方がええでー。て言いながらも、おれも登ってるんやけどな。」

「自分も本気で死にかけたことは無いけど、道に迷ったり、人が崖から落ちてきたり、ヒヤヒヤすることがあったから、気を付けようと思うようになったんよ。」
「できたら祖父江くんも一回遭難しかけて死にそうな目にあって欲しい。本当に遭難したら大変やから、遭難一歩手前くらい。そしたら、遭難対策する気になると思うんよ。逆に言うと、そういう目にあわなかったら、遭難対策の実感わかんよな」

「うん。よくわかんない。」

「そんなあなたのために、遭難の体験談を入れておいたから。これも読んで。」

このシリーズは、作者が遭難の経験者に取材をして、直接聞き取られた体験談が書かれている。体験談が非常に生々しく臨場感があり、読んでいてるだけで自分もしんどくなってくる。遭難に至るまでの問題点もよくわかる。

でも、いろいろ持って行った方がいいことはわかった。」
「コンパスと地図、持って行くんやで。食料もな。」

「ところで、この3人で遭難したとして、極限状態に追い込まれたらどうなるやろな。最後の食料を取り合って、醜い争いになったりするやろか。」

「いやいや、おれは、もういいよ。そこまでして生きたくもないし、皆さんに食料を譲って一人で山の神になるから。」

「ほんまかいな?そんなこと言ってるやつに限って、食料を隠し持って独り占めしたりするんやで」

そんなことを話しているうちに、真剣な遭難対策はどこかに行って、ホッピーでハッピーなトークに塗り替わっていく。
極限状態に陥った時、人はどのような行動をするのだろうか?愛するものを守れるのだろうか?信じる心を忘れずにいることができるのだろうか。


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