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雪山に紡ぐセーター 7

人が崖の上からゴロゴロと転がって来たことを見たことがあるかい?
世界がスローモーションになったことを見たことがあるかい?
そんな時、僕にできることはまだあるかい?

かなり前のことだが、雪山で急斜面を下っている時に、同行しているメンバーが自分の目の前を転がり落ちていったことがあった.

ふかふかの雪を想像すると、埋もれることはあっても、滑り落ちるイメージはしにくい。
しかし、雪の表面が凍ってたり、雪の下に凍った岩や木の根が隠れていると、ツルリと滑ってしまう。この時、滑りどころが悪いともう止まらない。普通の登山道は岩や木、地面の起伏でデコボコしているのだが、雪が覆ってしまうと起伏が無くなり、転がり放題になってしまう。

数年前にユーチューバーが、富士山で自撮りをしながら滑ってしまい、そのまま亡くなってしまったニュースがあった。滑って転んで、そのまま止まらなくなってしまった様子がリアルに撮影されていた。

この時自分が登っていた山は、富士山や、長野の八ヶ岳といった雪深い山ではなく、雪の斜面といっても雪の間にところどころ地肌が見えてまだらになっているような山だった。

10人くらいのパーティーで2泊3日のテント泊で頂上を目指し、下山の途中だった。
その年の台風か何かにやられていて、道ががけ崩れ状態になってしまっており、すっかり無くなっていた。

何とか回り道をして回避できないか探してみたが、良いルートを見つけることができず、崖を下ることになった。
そんなハードな崖ではない。6~8メートル程度の高さで、崖の下は茂みと砂地になっている。最悪滑り落ちてしまっても岩場に叩きつけられるようなことはない。

崖の上の木にロープを結び、1人ずつロープを掴んで降りて行った。
自分は崖の中腹の岩場に待機し、サポートをしていた。
1人を残して全員が無事に崖の下まで降りることができた。

最後に、このパーティーのリーダーが木に結んだロープをほどき、降りてくることになっていた。ロープを外し、肩にかけて崖を降りてくる。

「ペキ」

リーダーが体重をかけていた木が折れた。
ゴロゴロゴロゴロと転がり落ちてきた。

この時、自分は岩場に貼りつくようにしてしがみついていた。
足場は安定しているが、万全の態勢ではない。

世界がスローモーションになった。
事故にあった時に、スローに時間が流れるってのは本当なんだー。と思った。

手を伸ばせば届く距離を、人が転がり落ちてくる。スローになった時間は、良くも悪くも考える時間を与えてくれた。

「え。これ、もしかしてヤバイ?ヤバイ?手を伸ばして食い止めるべき?」
「いやいや、この勢いで落ちてくる人をキャッチできるわけがない。自分も巻き込まれて2次災害が発生するぞ」
「いや、ここで止めないと一生後悔することになる」
そんなに考える時間は無いはずなのだが、この時確かに考え、迷った。

ちょっとマニアックな話だが、ハンターハンターで、ゴレイヌというキャラが、当たったら即死する威力のドッチボールを顔面に当てられそうになるシーンがある。即死するくらいのボールなので、スピードもものすごいと思うのだが、ゴレイヌは「速い、強い、よける?受け止める?」と考えている。そんなん考えているうちにボール当たるやろー。というシーンなのだが、自分はこのシーンの感触がすごくわかる。考える時間無いはずなのに、ものすごく思考が回る。

迷った末の結論として、手を出さないことにした。
岩場に不安定な姿勢でしがみついている状態で、手を伸ばしたところで、この勢いで転がってくる成人男性を止めることはできないと判断した。
となると、手を伸ばすことに意味は無い。意味がないだけではなく、自分も巻き込まれて被害が拡大する可能性がある。
かくして、自分の目の前を、人がゴロゴロと転がり落ちていった。
その風景をゆっくりと眺めていた。
一瞬で思考をグルグル回す「ゴレイヌタイム」に、脳が非常時に蓄積していたエネルギーを使い果たしてしまったのだろうか。ボーっと眺めていた。


幸いなことに、出っ張っていた岩に背中からぶつかり、この時に背中のリュックがクッションとなり、転がる勢いが弱まり、その瞬間に態勢を整えることができ、足とお尻をブレーキにして滑り台を滑るような姿勢になり、ズルズルと着地することができた。
ゴアテックスのジャケットとズボンが破れてしまったのだが(これはこれで大きな痛手だが。。)、怪我は無く、無事に下山をすることができた。

背中のリュックや地面の状況、など様々なラッキーがあったと思う。岩に背中ではなくてお腹からぶつかっていたらどうなっていただろうか?など思ってしまう。

もし、この時に大けがをしたり、最悪、命を失うようなことになっていたら、自分は一生後悔していたのだろうと思う。もちろん、合理的に考えると自分の選択は間違っていない。あの時に手を出していてもどうしようもなかっただろう。
しかし、だからといって理屈では割り切れない気持ちは一生残ると思う。

なんでこんなリスクを負ってまで、人は山に登るのだろうかと思う。
「なぜ山に登るのですか?」と質問した人も「山があるから」と答えた人も、全くその通りだよと思う。自分の足で山に登って、頂上にたどりついて景色を見るのがたまんないんやんな。それだけやんな。それだけやけど、それが、たまらんのよな。

おいおい書くと思うが、これ以外にも何回か山で危ない体験をした。
山は、ちょっとしたはずみで人の命を奪う、怖いものだと思っている。
でも、人は山に登る。

祖父江くんと山内くんが二人で山に登っていると聞いて、本当に驚いた。
長野の山に登ってきたよー。と写真を見せられて、おー、いい眺めだなー。と言ったのだが、本心では、かなり焦った。
とてもあの二人が十分な備えをした上で登山をしているとは思えなかった。
自分が山登りにさそった友人が、山登りを好きになり、自分でも山に登るようになる。
同じ趣味を持つ友人を持つことは幸せなことだ。
「お前に誘われて山に登ったけど、しんどいだけで、ひどい目にあったよ」
と言われるより
「こんな良い体験できると思わなかった。サイコー!」
と言われる方が断然良い。はずなのだが、手放しで喜べなかった。

もちろん、全員いい年をした大人だ。自分がきっかけであったとしても、強制して山に登らせたわけでもない。祖父江くんの意思で山に登ることを決めている。
インターネットで少し調べれば情報も収集できる。もちろん情報収集しているのだろう。その中で判断して山に登っているのだから、仮にここで事故にあったとしても自分の責任ではない。理屈ではわかるのだが、気持ちは納得できなかった。

そびえ立つ雪山。気温はもちろん氷点下で道も険しく斜面も急。挑むものを容赦なく地獄に叩き落とす威厳を持った恐ろしい山。

「ウヒョー!山だーー。登るぜーーー」

パンツ一丁で、ものすごい勢いで山に駆け上る祖父江くん。
彼にタックルかましてでも、止めるべきか悩む自分。悩んだ末に止めようとした手をすり抜けて山に駆け上る。そして彼は山の神になった。

そんな姿が想像された。これはいかん。何とかせねば。


秋の新橋で、久々に祖父江君くん、山内くんと飲みに行くことになった。(コロナ前ですよ)
駅前の広場で、祖父江君が手に持っていた傘を地面に突き立てて、手を放す。
パタンと傘が倒れる。
こっちに行こう。飲み屋も何もない方向を示したが、傘に従って歩く。
程よく歩いたころにもう一度傘を倒す。
次はこっちだ。

何度か傘を倒し、「ビーフをグリル」みたいな感じのアメリカンな店にたどり着いた。


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